第一章

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 一番足元に近い花の茎が、そのまま地面に生えているのを見た鷹志が見開いた大きな目で、高岡に驚きと理解の眼差しを向けた時だった。 「鷹志くん、ここにいたの?」  凛とした声が、鷹志を呼んだ。 その声にどきりと反応して、鷹志は立ち上がった。突然だったばかりではない、「驚き」と「ときめき」が身体中を一気に駆け巡って、跳ね上がった動悸のせいで小さな胸から心臓が飛び出そうだ。 「至聖さん?」  その人、滝川至聖(たきがわ しせい)は、華やかな芍薬の花波の向こうに綺麗な立ち姿勢で、鷹志に聊かの不機嫌さが伝わらないように視線を花弁に逸らした。その頬がほのかに染まって見えたのは、花映えのせいだろうか。  芝の緑に反射する陽射しを受けてきらきらと光の粒が弾けているように、鷹志は眩しく至聖を見上げて、想像した。 (興津さんが牡丹なら、興津さんにそっくりな至聖さんは芍薬かな……)  興津から、『私の甥っ子です。仲良くしてくださいね』と言って紹介された至聖は、四歳上の中学二年生。彼は、鷹志がそれまで見たことがなかった理知的な顔立ちの「中学生」だった。  真っ黒で真っ直ぐな髪はしなやかな芯を持っているかのように、風にそよぐ。白い額から高く滑らかに伸びる鼻筋が、ストンと落ちた先には綺麗な形の唇が艶めいている。何よりも、黒い瞳が陽の光に輝いて揺れる眼差しが大人びていた。  そして、親子でないのが不思議なくらい、興津基に容姿が似ている。剣道も得意なようで、その凛々しい道着姿を見てから、鷹志は一気にヒーローを二人得た気分だった。  だが、普段は至聖から声を掛けてもらうことはない。中学生で大人な彼には、たぶん自分は話し相手として役不足なのだと、鷹志は少し寂しく思っていた。興津と三人でいる時も、至聖はいつも鷹志には関心がなさそうに目を合わさない。だから、今日はとても嬉しい。声が裏返るくらいに。 「至聖さん、なぁに?」 「鷹志くん、一緒に花屋に行かないか?」 「え? お花屋さん?」  ギクリ、とした。それまでのドキドキ浮き浮きとした気恥ずかしさが一気にしぼんでしまった。重い石を飲み込んだみたい息が詰まる。鷹志は暗い予感に唇を噛んだ。季節の花々に事欠かない世良田の庭には、この季節にあるべきものが、ひとつ、ない。
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