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今度は、はっきりと耳に届く。
「おーい、と・う・まぁ!」
呼ばれて振り返ると、パタパタと走り寄ってくる悠が見えた。ランドセルを置いてきたのか、走り方がスムーズだ。驚きを隠せないままに、悠が駆け寄って来るのを見詰めた。
一度、斗眞の前で立ち止まり、凝っと表情を伺ってから口を開く。
「式が始まるのにいないからさ…」
言い訳を言いながら、悠は斗眞の手を引いた。不意に、差し出した掌を悠に叩かれた一瞬を思い出した。
「行こうぜ」
「あ、あぁ…」
動こうとしない斗眞に、悠は怪訝そうに見上げた。斗眞の顔に悪戯っぽい笑顔が浮かぶ。
「ねぇ…考えてくれた?」
一瞬、何のことか分からない…という表情を見せた後で、悠は斗眞を振り仰ぐと白い歯を覗かせた。
「まぁ…おんなじ組だしな」
へへっ…と指先で鼻を擦る仕種が、いかにも彼らしい。
「うん…ありがと」
やっと肩に届くぐらいの悠の頭を斗眞はくしゃりと撫でて応えた。
「よせよ!オレは犬じゃないぞっ!」
怒る悠を余所に、斗眞は再び悠の髪に触れた。サラサラと指通りがよくて気持ち良い。
「おいっ!」
「よろしく!」
にっこりと笑う斗眞に怒る気も失せて、悠はただ睨み返す。
「ほら、式が始まっちゃうよ?」
くすくすと忍び笑いを続けながら、斗眞は悠を促した。
悠は何気なく、桜の木を振り返る。
この桜の木が、もう一度つぼみをつける頃、この下でもうひとつの出会いがあるとも知らずに悠はその木を振り返った。
でも…。
覚えたのは、この桜の情景…、母の笑顔とやさしい掌。
思い出せるのは、仄かな桜の香りだった。
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