夏の海辺で

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子どもの頃、夏休みに一人で電車に乗り、この海辺の祖父母の家まで来た事がある。 私は一人が苦にならない子どもで、その夏の殆どをこの裏にある浜で砂にまみれて過ごした。 砂の堤防を作り、波が海水を運んで来ると水門を閉じて小さなプールを作る。壊れてはまた作り何度でも繰り返し遊んだ。 小さな浜辺で滅多に親戚以外の人間と会う事はなかったが、一度だけここで出会った人がいる。 陽の沈みかけた頃、お砂場道具の小さなバケツを波に攫われ追いかけて転び、また打ち寄せる波に容赦なく沖へと運ばれてしまった。 波の上に顔を出そうと必死にもがく私を持ち上げる力強い腕。 泣き出した私を抱き上げ宥め「危ないぞ。満ち潮になって来てるから早く帰れ」と諭す声が苦しげに聞こえた。 見上げると逆光で暗く陰り顔は分からない。 だがその声と波打ち際を去って行く姿は目と耳に焼き付いた。 幼い私には大人に見えたが、今から思えば14,5歳位の少年だったかも知れない。 その後直ぐに迎えに来た祖母が遠ざかる彼を見て、「しゅうじゃないか、こんな所で一人で」と呟くのを聞き、あの人は『しゅう』と言うんだと心に刻んだ。 幼い私は従兄弟に聞いて見る事もしなかったし、怒られるのが怖くて祖父母にも言わなかった。 その後も何度かこの浜辺に来たが二度と彼に会うことはなかった。 昨日、祖母が亡くなったと知らせを受け、母とこの海辺の町にやって来た。 親族の集まる家の中が息が詰まり、抜け出してまたこの浜辺に立っている。 十年前のあの日のような陽の沈みかけた夕方の海は、オレンジ色の空を映して煌めいている。 祖母の「また濡らしてー」と叱る声が聞こえて来るようだと思い出に耽っている時だった。 「東京から来た子だろ?」と問いかける低く深い声、黒い礼服を来た背の高い男性が横に立った。 その声と空気に期待に肌が泡立つ。 「はい。あの、ここで子どもの頃遊んでいて溺れかけたことがあるんです。 しゅうって言う人が助けてくれて」 「ああ、覚えてる。小さいのにずっとここで一人で遊んでたよな。 俺もあの時荒れてて、あれでまた頑張れた。お前は恩人だ」 ハッと横に立つ彼を見上げる。 初めて見るその顔が何故か懐かしい。 漸く会えた。 見つけた。
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