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女1
「今宵、あなたはあたしのもの、そのすべてが。
あなたはその愛をみせてくれる、とても甘く。
今宵、あなたの瞳に、愛の光が宿っている……」
もう何度聴いたか知れないジャズ・バラードがリビングのソファの前をたゆたっている。
まるで自分の化身みたいに、夜ごと同じ言葉を語りかける。
さっき窓を開けたら雨が降っていた。
アスファルトにぶつかって音がするぐらいの強い雨。
雨は厭だけれど、こうしてひとりでお酒を呑む言い訳ぐらいの役には立つ。
どうせ出かけるところなんてないのだから。
呼び出す相手も呼び出される相手もいないのだから。
郊外に越してきたのは、よかったかもしれない。
むかしの男に会わなくてすむから。
会おうと思っても遠すぎてあきらめられるから。
雨音がはじける。
ほかに何の気配もない。
ややこしいことは何もない。
こうしてひとりでお酒を呑んで音楽を聴く。
まるで鏡に映る自分の姿をながめるみたいに、毎夜、同じ曲を聴く。
「今宵、あなたは無言の言葉で
あたしだけだと語ってくれる。
だけど夜が去り、朝になれば
あたしの心は砕け散るのよ。
ちゃんと言葉で聞かせてほしい。
もう、二度とは尋ねないから。
あしたもあたしを愛してる?」
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