あしたも あたしを 愛してる? 第一節

4/26
前へ
/100ページ
次へ
男1 「早く」  せっぱつまった、女の声。 「すぐ、来て」  言葉が喉につかえたようになって、うまく話すことができずにいる。  だが、その電話の声が誰のものであるかは明らかに分かる。  もとめに応じて、女のもとに向かう。  合鍵でマンションの錠を開け、廊下を歩いて、部屋のノブを押す。  扉のすぐ近くに女はいる。  床にへたりこんで、肩から毛布をかぶって、ふるえている。  毛布のほか、その体には何もまとっていない。  ふるえたまま何も言い出そうとしない女を放って、ベッドに目をやる。  男が横たわっている。  男は……やはり何も体にまとうことなく全裸で、枕に顔をつっぷしている。  その顔のあたりからあふれたのであろう、どす黒い液体が、シーツの大半に染み出し、男はベッドで溺れているように見えた。  そんな映像が、目の裏にへばりついたまま、剥がれない。  いったい、いつ目撃したものか分からない。  とにかく、そうして横たわる男の体と、ふるえる女の肩。そんなものだけが生々しく網膜に息づいている。  その映像に、時がない。  その映像の「前」に何があり、その映像の「後」に何があったのか、それが私には分からない。  いつごろからであろう?  私が自分の記憶に「時」というものをなくしてから、すでに久しく経つ気がする。
/100ページ

最初のコメントを投稿しよう!

6人が本棚に入れています
本棚に追加