ふれて

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今まで閉店は夜八時だと思って、それ以前に訪ね、閉店前に出るようにしていたが、店に住んでいると聞いて試しに十時半くらいに行ってみた。思った通り店は開いていた。きっと眠るまでが営業時間なのだ。 「珍しいな、渉。こんな時間に」 「本屋に閉店までいたんで、帰りにコーヒーが飲みたくなって寄りました」 「うちは喫茶店じゃないよ」 そう言いながらも、リネンのカーテンをくぐるとすぐにコーヒーを用意する音が奥から聞こえ、香ばしい匂いが漂ってくる。 「クッキー食う?今日お客さんにもらったんだ。俺、甘いもの食わないから」 他にも客がいるのだとどこか安心すると同時に、女性からのプレゼントだろうかと頭を掠める。貝瀬はどんな女性が好みなんだろう、特定の恋人がいるようには見えないけれど、俺は客の一人だから知らなくて当然な気もする。恋人の有無を聞くのも躊躇われた。聞いてしまえば今のように気軽に店に通うことができなくなってしまうような気がした。 ヴィンテージのホーローカップとクッキーが乗ったガラス皿がカウンターに置かれる。来る度質問を重ねたので、今はこの食器がどこ製で時代がいつのものなのかなんとなくわかる。自分にはバカラのグラスにジントニックを作っていた。適当な店だなと呆れる。 「店開けといて飲むんですか?」 「店開けとけば、何時でも客が来るかもしれないし。夜も案外売れるしな。近所のショップの人とかとも行き来して、たまに飲むよ」 貝瀬がそんなに社交的な性格だとは思わなかった。まだまだこの人のことは知らないことばかりだ。そしてこれ以上知って、俺はどうするつもりなのだろう。バターたっぷりの高級そうなクッキーをかじりながら考える。 グラスに入れられた氷が艶やかに溶け、クリスタルの表面を濡らしている。グラスを手にする貝瀬の指も濡れ、その指で水滴を俺の肌の上に広げるところを想像する。いつものさらさらとした柔らかさはなく、きっと冷たさにひやりとする。今以上の別の刺激が欲しくてたまらない。濡れた手触りも貝瀬は好きだろうか?
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