ほどけて

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ぼんやりと灯るライトに照らされた顔がふと起こされ、こちらを見ている男と目があった。顔にかかるウェーヴがかった髪がはっきりした顔立ちを余計印象的に見せている。イイ男だな、と思う。 「渉(わたる)、こっち来る?」 「『来る?』って言い方は変だと思います。貝瀬さんが俺に来て欲しいって言うなら行ってあげますけど」 アンティーク雑貨店の店長、貝瀬(かいせ)謙太郎(けんたろう)は俺の人生初の同性の恋人だ。大学の勉強にもバイトにもほとんど何にも関心がなく、俺は時間を持て余して貝瀬の店に入り浸っている。暇だからと誰にともなく言い訳しているけれど、通ってしまうのは貝瀬に会いたいで、ぼんやりしていても退屈することはない。レジカウンターを挟みコーヒーを飲んでいたら全く甘くもないトーンで唐突に貝瀬は言った。返事を聞いてふふっと口元を優しく緩め、言い直す。 「渉、こっち来て」 語尾が変わっただけなのに、どきりと胸が鳴った。映画の個性派俳優のような低くていい声をしているから、その誘いは十分魅惑的に響く。それだけじゃない。近くに来いと言うんだから嫌でもその先を期待してしまう。カウンターの内側に入って隣に座ると、貝瀬は満足気な表情を見せるだけで特に何もしない。こういう時の居心地の悪さを知っていてあっさり誘いに乗ってしまうのだから、この男には敵わないと思う。 俺は相変わらずぬるくなったコーヒーを啜り、貝瀬はノートパソコンに向かっている。こんな薄暗い中でパソコン画面を見るのは目にあまり良くないのではないかとぼんやり考え、ほわりとオレンジの灯りが照らす雑多な店内に目を移した。棚にテーブルにごちゃごちゃと古い雑貨が眠るように並んでいる。 静かに時間と空気が流れている中、本当にふとした瞬間、貝瀬はとても自然に俺の方へと手を伸ばしてくる。それには言い訳さえ必要なく、たった今そこを触りたいから触るのだと指先が語る。丁寧に細やかに何かを感じ取るように指は皮膚を撫で上げる。この人は手触りフェチなのだ。しかも現在、俺の素肌を触ることに大変ご執心だ。
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