ふれて

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二ヶ月経った頃、貝瀬の店で黒いジレを手に取った。表はウールのベロア地、背はサテン地、シルクのベルベットに触り慣れてきていた俺には少し物足りないが、それでも手触りの良さから質の良さがわかる。多少値が張るけれど、つやりと光るベストをどうしても手にしたいと思った。 店はあちこち割れ物で埋まっていて手を挙げることさえ危険なので、試着のためにレジの内側のスペースに招き入れられる。見慣れた店内もいつもと目線が違うとまた違った雰囲気に見え、貝瀬がすぐそばにいることにも緊張して心拍数が少し上がった。Tシャツの上にジレを羽織るとサイズは丁度よくぴったりと体に馴染み、やはり出会うべくして出会ったのだという思いを強める。 突然後ろから肩に手を置かれ、するりと背まで撫でられた。驚きを隠せずびくりと体を反らせ、思わず振り向く。 「あ、ごめん。コレ、すごい手触りいいだろ?つい触りたくなって。似合ってるよ」 それで貝瀬が手触りフェチだということを知った。多分何かにこだわりがある人間に共通して、好きなものを語り始めると人が変わる。コレクションしているという手触りの良いアンティークの品々を思う存分見せてくれた。 「シルクサテンは特別。ベルベットとはまた違って、濡れているように肌に吸い付くんだ」 あちこち裂けたボロボロの水色のリボンが手渡される。確かにするすると滑るようで、時間を忘れて撫でてしまいそうだ。 「シルクは傷み易くて、時間が経っただけで自然に朽ちてきて裂けてきてしまう。ただのボロに見えると思うけど、これだけの手触りが残っているだけで貴重なんだよ。触ってごらん。触れるたびにぞくぞくする」 質の良さはわかる。わかるが、子供のようなはしゃぎっぷりにずっと年上であろう貝瀬という男が急に可愛く思えてきた。その後も箱に入ったシルクハットやガラスよりも透明度の高いクリスタルのボタン、たっぷりと厚いホーローのプレートなど、マイコレクションを次々と見せられ、強制的に触れさせた。確かにどれも今まで俺が知るものより手触りが格別に良かった。
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