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まだ売れてない百ページ越えの提案書を書き上げて妙にホッとしていると、スマホが鳴った。
見ると実家からで、さっきからずっと無視を決め込んでいたが、何度も鳴るのでさすがに見過ごせず、出る事にした。
話を聞かれるのは恥ずかしいので、フロアを出て普段は使わない非常階段を上る。電話は母親からだった。
母親は親父が仕事中に倒れたと言い、詳しい事は分からないがしばらく検査入院すると疲れた様子で話した。もし、週末に時間があれば病院に来て欲しいと頼まれ、俺は曖昧に返事した。母親の口調からは、それほど緊急性を感じなかったからだ。
親父もそんな歳なんだなと、急に現実を突き付けられた気分になる。階段の踊り場にある手摺りに腕を置いて下の景色を見ると、夜景のジオラマが広がっていた。
ふうと溜息をついた時、上の階から人の話し声とドアの閉まる音が聞こえた。耳を澄ませると誰かがスマホで話しているようだった。
――だから、今日は無理だ。
寺坂の声だ。抑えてはいたが間違いなく寺坂の声だった。慌てて身を潜める。誰と電話しているのだろう。気になって様子をうかがった。
――さっきから何度もメッセージ送ってるだろ? あんまり我儘言わないでくれ。
寺坂の声にはどこか甘い雰囲気があった。嫌な予感がする。
――……喫煙所のガラス越しにこっち見ただろ? やめろよ、ああいうの。
相手は同じ会社の人間だ……。握り締めた指の先が冷たくなった。
――あと少しだからさ。納期明けたらなんでも聞いてやるから。
――うん。……だから分かってるよ。
――好きだよ。だから子どもみたいな事するな。
寺坂の決定的な言葉に頭の中が真っ白になった。
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