中毒

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「ただいま。」 「おかえりなさい!今日もお疲れ様。」 こちらの緊張をよそに、 いつもと変わりない出迎えの後、彼女がこんな質問をしてきた。 「ねえ、今日は何の日かわかる?」 その言葉に僕は息を呑んだ。 まさかバレてしまったのかと脅えた。 だが、それに続いたのは…もっと残酷なものだった。 「もう!やっぱり忘れてる。今日は君の誕生日!でしょ?」 ああ…なんてことだ! 僕はこんな日に…なんて約束を…。 「今日はね、お祝いだから… 腕によりをかけてご飯作ったのよ。ケーキも焼いたの!後で食べようね。」 「あ…うん!ありがとう。」 彼女の、この少女みたいな笑顔は、このところの僕の努力の賜だ。 それを壊さないようにと、元気を装って答える。 「さ、着替えたら座って座って!」 テーブルの上にはご馳走がならんでいる。どれも、僕の好物ばかりだ。 「お!おいしそうだね。あ、トマトのスープもある!」 毒を入れるなら、これだろうな。 そう考えながら、低いテーブルの前であぐらをかいた。 「ねえ、携帯…ピカピカしてるよ。」 スーツのポケットに入れっぱなしだった、 忙しなく着信を知らせて光るそれを、彼女がハンカチや小銭と一緒に持って来た。 僕は三着あるスーツを毎日替えて着ているから、 家に帰るとすぐに、彼女が小さなトレイにポケットの中身を出して、電話台の横に置いておいてくれるんだ。 僕は、殺したいほど嫌いになった人間に、まだ生活の全てを委ねていたんだと気が付いた。 それもこれも、“彼女は僕を裏切らない”…そんな自信と、長年の信頼からだった。 まあ、僕の場合…慢心と言うほうが合っているのかもしれないけれど。
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