117人が本棚に入れています
本棚に追加
毎晩恒例のマッサージを受けながら、美咲は雪洋に伝えた。
「まだ気持ちの整理はできないけど……。私、もう二度とあんな状態にはなりたくないんです。それだけは、はっきりしています」
雪洋と出会うまでの、この五年間のことが脳裏に浮かぶ。痛くて、悔しくて、何もできずに泣いてばかりいた日々。
「だから、……白い道をめざそうと思います」
わかりました、と穏やかに言って雪洋は美咲の頬に残った涙の跡を指で拭った。
「美咲はね、内と外の違いが大きすぎます。外へ気を使いすぎて、あとになってめそめそと泣く。そんなことを繰り返していれば心も体も病んで当然です」
「……私、自分で病気を作っていたんですね」
長い間こびりついていた卑屈な顔、卑屈な心。
それに体がついてきただけ。
そうして生まれた病は、もうこの体から出ていくことはない。
「あとは美咲がこの病をパートナーとして受け入れられるかどうかで、たどる道は変わってきます」
「パートナーだなんて……」
「まだ、無理でしょうね」
雪洋が困ったように笑う。
受け入れる気になんてなれるものか。
白い道を選ぶとは言ったが、今の正直な気持ちは、まだ拒絶的だ。
「これからは心と体にとって負担になるもの、癒しになるものを覚えていきましょう」
「この一年でそれを覚えるんですね」
「そうです。何も一年以上いたって構わないんですよ?」
雪洋の思惑が見えて苦笑する。
「先生、仕事辞めろって言いたいんでしょ」
当たりなのだろう。雪洋も苦笑した。
「美咲はどうしてそんなに仕事熱心なんですか?」
「生活のためですよ決まってるじゃないですか。先生だってそうでしょ?」
「美咲のは自分を潰す働き方です」
「じゃあ先生は?」
「適当です」
キッパリとした態度に「適当って……」と呆れる。
「無責任という意味の適当ではありませんよ。相応しい働きをしているという意味です」
そっちですか、と苦笑する。
マッサージで血行がよくなり、だいぶまどろんできた頃、
「美咲――」
雪洋が不意に口を開いた。
眠たい声で「はい」と返事をする。
「会社、辞めたらどうですか?」
「また先生はそういうことを……」
軽くあしらったが、雪洋は「本気で言っているんですけどね」とつぶやいた。
「私が美咲の親だったら、仕事辞めて帰っておいでって言いますよ」
少し沈黙してから、美咲はぽつりと言った。
「私、両親が他界してるんです。だから……」
だから働き続けることにこだわるのかも知れない。帰るところも、かじる脛もない。
「兄弟は?」
「姉が一人。もう結婚して家庭があるし、年に何回も会うわけじゃないし。だから自活していかないといけないんです」
「生活のために仕事は大事です。でも、仕事は最優先ではありませんよ。何年か療養して元気になってから働いたっていいでしょう」
雪洋の話を聞いて、何年かあとは元気なんだな、と思った。
「帰るところがないなら、養うって言ってる医者の申し出を素直に受けてもいいんじゃないですか?」
返事に困り、うーん、とうなりながら考えあぐねていると、それはやがて寝息へと変わっていった。
最初のコメントを投稿しよう!