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言わぬが花
目覚まし時計が鳴っていないのに目が覚めた。
たしかに何か鳴っている音がしたはずだと頭をもたげると、枕元のケータイが点滅している。どうやらメールの着信音で起こされたらしい。
親しかった同級生からだ。
久しぶりにメールが来た、という状況で、なんの用事か大体察しがつく。
『無事出産しました! 男の子です』
――やっぱり。
目に飛び込んできた文面に、美咲は寂しいような、うんざりしたような思いに駆られた。
二十七歳――
周りの女性たちには、人生のイベントが畳みかけるように発生している。
「普段なんの音沙汰もないくせに、こういうメールだけはきっちりよこすんだよなぁ」
近頃は年賀状を見るのもうんざりする。
新婚旅行の写真、赤ちゃんの写真、少し大きくなった子供の写真。
干支のイラストで間に合わせているのは自分だけじゃないかと思えてくる。
でも年賀状の方がまだマシだ。
メールで報告されたら返信しないわけにもいかない。
メールには続きがあった。
『美咲はあれから体大丈夫?』
……あれからってどれから?
自分でもわからない。一体何年前から友達に体が悪いと思われているのだろう。
ベッドから起きだして窓を開ける。
一階のリビングと美咲の部屋には縁側がある。
ここに腰掛けて外の空気に触れるのが、最近のお気に入りだ。
足を放り出してメールを見つめる。
心を無にして『おめでとう、良かったね』と打ち込み、棒読みで打った文章におめでたそうな絵文字を入れる。そんな作業ですら心が折れた。
あとは黙々と近況を打ち込んだ。
正直すぎるほど、詳細に。
今日から新しい薬が増えた。
血栓予防のための、血液をサラサラにする薬だという。
「この薬を服用していると血が止まりにくくなるので、いつも以上に傷を作らないよう気をつけてくださいね」
これで服用する薬は五種類になった。
そういえば前に処方されたステロイドや胃腸薬は、そろそろ飲みきってしまう。
「あの、先生」
「何ですか?」
「調子もいいですし、自分で薬をもらいに行ってもいいですか? 他の患者さんと同じように受付して、診察を受けて、処方箋もらって……」
「どうしてですか?」
「ええと……散歩がてら?」
嘘ではないが、本当は特別扱いすぎて肩身が狭いのだ。雪洋が薬を持ってくるから、薬代だって払っていない。お金を差し出しても、雪洋に適当に流され、結局のところタダ同然で住まわせてもらっている。ありがたいことではあるが、さすがに気が引ける。
「体力が戻ってないから疲れますよ。まだあまり歩きまわってほしくないんですが……」
「ゆっくり歩きますから。薬局もすぐ近くだし。ね? 先生」
美咲の熱意に負けたのか、雪洋があきらめたように肩を落とした。
「ま、いいでしょう。どのくらい疲れるか試してごらんなさい」
遠足の準備のようにウキウキする。
身支度を整え、バッグを持って玄関から出る。
景色を眺めながらゆっくり家の外壁をまわって、久しぶりに『こうさか医院』の玄関を開け――
その頃には完全に疲れ果てていた。
たったこれだけの距離で。
息が荒く、足がジンジンとして震える。
足の皮下でマグマが対流しているような。
こんなに体力が落ちていたのか。
院内は初めて来たときと全然違っていた。
患者さんが多く、受付にはスタッフもいた。
雪洋が用意してくれた診察券を渡すと、
「あら、あなた……」
五十代前半くらいの受付の女性が、美咲の顔を見て声をかけてきた。
「先生の『イトコ』さんね。呼ばれるまで座って待っててね」
にんまりと笑って「イトコ」の部分をわざとらしくハッキリと区切って言った。
雪洋がイトコだと言ったのだろうか。そうでないことを、この女性はお見通しのようだが。
「天野美咲さん、診察室へどうぞ」
雪洋の声。
どことなくいつもと違って聞こえる。
こうさか医院の高坂先生モードだ。
美咲もどことなくよそよそしく「失礼します」と診察室へ入る。
イスへ座ると、雪洋が軽く笑って質問してきた。
「お待たせしましたね。どうですか、お散歩は。疲れませんか?」
久々に見るスクラブ白衣の雪洋は、やはり家で見せる顔とはどことなく違う。新鮮なような、緊張するような。
「まだ大丈夫です。来たときは疲れましたけど、今は治まりました」
雪洋は片眉を上げて話を聞いていたが、美咲は今日の目的を一つ達成できて誇らしげだった。
「このあと、薬局にも行くつもりです」
最大の目的はそこなのだから。
笑顔で宣言すると、雪洋は「そうですか」とだけ言って、足を見せるように指示した。
「今のところは大丈夫ですね。あとは夜に見てみましょう。いくらか紫斑が出るかも知れませんね。お薬出しますから、呼ばれるまで待合室でお待ちください」
電子カルテに打ち込む雪洋に、思いきって聞いてみる。
「先生、あの事務の方……」
受付の方向を指差しながら目が泳ぐ。
「ヒカルさんですか? どうかしました?」
ヒカルさんというのかと思いながら、イトコと呼ばれたことを伝える。
「ああ、前に美咲が縁側に座っているのを目撃したみたいでね。嬉しそうに聞いてくるのでイトコって言っておいたんですよ」
……絶対に彼女だと思われている。
「そんなことより、いけませんよ庭なんかに出て。まだ安静にしていなさいと言ったでしょう。帰ったらすぐ休みなさいね」
「あ、ヤバ……」
小言をくらって、診察は終了した。
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