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提案
「ごめん。俺、もう無理だ」
明かりを落とした暗い部屋、ベッドに横たわる美咲から体を離す彼。全身の激痛に耐え切れず、美咲の顔は苦悶に満ちている。
「お前もさ、体辛そうだし、一人の方が気ィ遣わなくていいだろ?」
「……うん、そうだね」
美咲は生気のない声で答えた。
終局が、目前に迫っている。
「じゃあもう、終わりにしようか」
「……うん、そうだね」
彼が照明をつけた。
美咲の長い髪は艶もなくシーツに広がっている。
服を着込みながらちらりと美咲の足に目を向けた彼は、一度ぶるっと身震いした。
美咲は目をそらし、身震いされたことを見なかったことにした。
彼が立ち去った。
もう二度と会うこともない。
明日からは、一人だ。
病院通いが途絶えてから五年。
二十七歳になった美咲の体は、いよいよ悪化の一途をたどっていた。
美咲は左手の薬指から指輪を引き抜くと、しばし指の痛みに悶えた。やがて痛みが引くと、シーツの上に力尽きたように腕を落とす。
どこへ行けばこの体に決着をつけてくれるのか。
体中が痛い。
体中が異常だと叫んでいる。
元の生活に、本来歩むべき人生に、どうか戻してほしい。
一体どこで道を誤ったのか。
一体どこにこの祈りをぶつければいいのか。
どうせ病院に行ったって何も変わりはしない。何度症状の説明をしても返ってくる言葉は、「異常無し」「原因不明」「様子をみましょう」――
痛みは五年の間に、耐えられないレベルにまで達していた。
激痛は全身に走っている。
寝ていても痛みで目が覚める。
寝不足は更なる体調不良を招き、悪循環の渦へとはまっていた。
*
会社の給湯室で、小さな悲鳴が上がる。
気を遣って抑えながらも、しかし確実にその声は怯えている。
「天野さん、それどうしたのっ?」
給湯室に入ってきた同僚の女性が指差したのは、美咲の足。赤く小さな斑点が、ふくらはぎにびっしりと出ている。
見られないようにいつもパンツスタイルにしていたが、裾をめくってこっそり症状を確認していたところを見られてしまった。
「病院行ったの?」
「いえ……そのうちに治ると思って」
「これはそのうちに治るレベルじゃないって。いいから病院行きな!」
同僚の忠告に苦笑しながら曖昧にうなずく。
病院、か……。
重いため息が無意識に出る。
男は逃げ、女には悲鳴を上げられ、そして医者にはまた見放されるのだろう。
でも、これはさすがに行かなきゃだめかな。
五年前にはなかった足の気味悪い皮膚異常を見つめ、美咲は重い腰を上げた。
とりあえず、会社のすぐそばにある小さな個人病院へ行く。皮膚科医は一目見て「特発性色素性紫斑」と診断を下した。
「衣類の刺激とか、毛細血管が弱いとか、可能性は色々あるんだけど。基本的に原因不明で根本的な治療法はないんです」
医師の説明に一瞬めまいを覚えたが、それでもすぐに診断名が下ったことに安堵した。
皮膚は弱い方だし、暑くてジメジメしてたから、きっとそうだ。――安心したことで、原因も自分で納得するものを選出する。
処方されたビタミン剤と血管強化剤、塗り薬をもらって毎日せっせと服用、塗布を繰り返した。
おかげで紫斑は沈静化した――ように見えたのは一時だけ。回復するより先に、またびっしりと紫斑が出た。
同僚にもまた悲鳴を上げられた。
「開業医じゃなくて、もっと大きな病院行かなきゃだめだよ。ほら、高坂総合病院って市内にあるでしょ? あそこの皮膚科って割と評判だからそっち行きなよ」
「どうせ行っても変わらないと思いますけど……」
「いいから行きなって。総合病院だから他の痛いところも全部診てもらいなよ」
世話焼きの同僚にけしかけられ、翌日の有給まで取らされた。
他の痛いところ――
そんなもの、数え切れないほどある。
でもどうせ、これもいつものこと。
美咲は自嘲気味に苦笑した。
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