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前向きでいようとする頭とは裏腹に、視界は滲んできていた。酷く情けなく、惨めだ。なんでこんなことしてしまったのだろう。もうきっと、展示会に間に合ったとしても、この絵は彼の絵を上回ることはできない。これが、私の高校生活最後の絵だ──。
その時、ガラッと扉の開く音がした。コツコツと近づいてくる足音。私は、金縛りに遭ったように動けなかった。そして、美術準備室の扉が開く。
「何してるんですか」
その声の主を知るのに、時間がかかった。いや、それが彼の声だと受け入れたくなかったのである。なぜ、今彼なのか。このタイミングで。この場所で。
「桑島先輩、ですよね?」
──高田洋一。なぜ、彼が。今まで来なかった癖に。でも、何か言わなければ。努めて明るく。努めて笑顔で。
「高田くんこそ、なんで?」
その声は震えていた。キャンバスを彼に向けてはいけない。私は少しずつ、さりげなくキャンバスを移動させたり、彼の死角になるようにした──が、近づいてくる彼に事を隠すのには、限界があった。
「俺は、ちょっと作品制作に必要なものが──って先輩、それどうしたんですか!?」
もう、はち切れそうだった。あんたには知られたくなかった。あんたには。
私は、ただ苦笑いするしかなかった。苦笑いで済めばまだ良かった──のに、冷たいものが頬を伝う。私はそれに気づいて、できるだけ顔を背けた。情けない。部長としても先輩としても、顔が丸潰れだ。悔しい。
「先輩──」
不意に、視界に彼の指が入った。身体がのけぞる。足が椅子に当たり、ガタンと鳴った。それと同時に思わず顔を上げてしまった。彼は少し驚いた顔をしていたが、手を下ろして肩をすくめた。
「先輩、少し付き合ってくれますか?」
「は?」
突然の申し出に、間抜けな声が出た。きっとその時の私は、素っ頓狂な顔をしていただろう。「なんで私があんたなんかに・・・っ」と言いかけたセリフは、彼の言葉で遮られた。
「俺の絵、見せますよ」
彼が連れてきたのは、学校の屋上だった。
「ほら、これ」
彼が指差した先は、頭の真上。
「何もないじゃない」
白々しい目を向けると、彼は困ったような素振りで、
「俺の絵、っていうのは語弊だよなあ」
なんて、独り言のように呟いた。
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