167/178
前へ
/179ページ
次へ
 真美が実家に戻ってしばらくすると、真美の兄であり、俺の親友である勝美の様子がおかしくなった。勝美は知り合った頃には既に精神不安定だったが、野球をしている時は落ち着くらしく、何か思いつめたりした時は、よくキャッチボールに誘われた。就職を期に野球を止めていたが、特に不安定な様子も見せず落ち着いていた。しかし、また、様子がおかしい。俺と呑みに出かけても、そわそわと落ち着かない。俺を見ようとしないし、話をしていてもかみ合わない。呑みに誘われる回数だけが増え、特に相談される事は無かった。しばらくすると、俺の家に押し掛けてくるようになり、頻繁に泊っていくようになった。  そんな事が続いた日曜日。その日も勝美は俺の家のリビングのソファに座り、膝を抱えて何やらぼーっと考え事をしていた。 「なあ、外、行こう。天気もいいし、久しぶりの休みだからキャッチボールでもしようぜ。」  俺は暫く使っていなかったグローブを引っ張り出し、勝美に渡した。勝美はしばらくジッとグローブを見詰めていたが、何かを納得したのか、コクンと頭をグローブにぶつけると、俺に向き直り微笑んで、一言、「うん。」とつぶやいた。  勝美は悩み事を相談しない。それは俺も同じだった。キャッチボールをする事で、何かが解決する訳ではない。ただ、沈んだ心を浮上させ、荒んだ心を落ち着かせるだけだ。お互い無心になれるまで投げ合った。  数日後、勝美はいなくなった。周囲は何か事件に巻き込まれたと思ったが、会社には退職届が提出されていた。覚悟の失踪だった。一週間後、警察から連絡があり、沖縄で身を投げた事が分かった。遺体は上がらなかった。  俺は悔やんだ。もしかしたら、俺とのキャッチボールで自殺を覚悟させてしまったかもしれないと。様子がおかしい事には気づいていたのに、どうして理由を聞かなかったのかと。もっと親身になってやらなかったのかと。明らかに勝美は俺を頼ってきていた。しかし俺は一緒に呑んでキャッチボールをしただけだった。勝美は限界だったのだ。自分一人で解決するには無理があったのだ。だから俺のところに来た。いつもと違った様子に気づいてやれなかった。助けてやれなかった。
/179ページ

最初のコメントを投稿しよう!

229人が本棚に入れています
本棚に追加