左右非対称の貝殻

8/9
前へ
/9ページ
次へ
あれから五年後。 私は今、この家に帰って来ている。 絵本作家として、名指しの仕事も少しずつ入って来るようになった。 心は、息子が一歳になると早々に仕事に復帰し、相変わらず忙しそうであまり会うこともないが、 なぜかいつもそばにいるような空気を感じている。 初めてできた甥っ子という存在。その一歳の誕生日に、他にできることもなくて、とりあえず描いてやった一枚の絵。 それを見て、 『絵本をやってみれば?』 そう言ったのが心で。 それ以来ずっと、絵本の仕事が一番の中心になっているからかもしれない。 文章は、読むのは好きだったが書いたことはなかったし、 仕事として描いていたイラストは、いつも編集者に言われていた。 『綺麗なんだけど、なんか無機質なんだよね。心が感じられない、っていうか。 まあスタイリッシュな製品の挿し絵にはいいんだけどさ』 背景や部分的な挿し絵ならともかく、そんな私が絵本を創れるなんて、思えるはずがなかったのだけれど。 父と母は、 「最近ますます心と彼方は似てきた」 と笑う。 左右でもようの違うアサリでも、必ず蝶番でくっついていて、 生きている限り、それは変わらない。 変わらない父と母。 変わらないこの家。 私達二人の、蝶番。 変わったのは、私の気持ちだけなのかもしれない。 素直にそう思えるようになった私は、 やっぱり少しは心に似てきたのだろう。 「彼方ー! 心が迎えに来たわよ」 階下から母が呼ぶ。 「はーい」 うわの空の返事をしながら、私はこれから開かれる出版記念パーティの、挨拶の台詞を考えている。 初めての、創作絵本。 出版社は、心の勤務先。 文も絵も自作の絵本なんて大それたことは、考えてもいなかったのに。 二歳の誕生祝いに贈った、物語付きの手描きの紙芝居を見るなり、 可愛い息子からそれを取り上げて自社に持ち込んだのは、心だ。 「彼方の素性は明かしてないし、児童書の担当に『手付かずの素人の作品』って渡しただけよ。 何の情実もないから」 それでも、商品化されると決まった時、 企画書を握りしめて、目を真っ赤にして私に抱きついたのは、心だった。 「私の見る目も案外、伊達じゃないでしょ? 畑違いの児童書だけど、私だって一応これでもこの道十五年のプロなんだから!」 「なんか、夢みたい。ありがとう、心のおかげ」 「お、素直じゃん。よしよし」 「ふふ」
/9ページ

最初のコメントを投稿しよう!

15人が本棚に入れています
本棚に追加