第三章 密やかな逢瀬

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 彼は決して心ない言葉で黒薔薇を責めたり卑しめたりしない。辛抱強く、黒薔薇が口を開くまで、肩を抱きながら待っていてくれた。だからこの人の言うことは真実なのだと、黒薔薇は真摯に受け入れなければならない。あの夜のことを思うと、無思慮に発した言葉が恥ずかしい――きっと、皇妃たちや皇族、貴族たちの間では、黒薔薇の恥だとして今頃笑っているに違いない。けれど、この人は違う……。 「わたしも、そうありたいと思います……」  一朝一夕にはできないだろうけれど、ハインリッヒの言うような、思慮深い人になりたいと思う。そう伝えると彼は春の日だまりのように微笑んで、黒薔薇の髪に口づけを落とした。 「私の宝、私のかけがえのない光……君はきっと素晴らしい皇后になる」  ――ハインリッヒさま……他の男のものになっても、わたしを愛してくれる人……。  だからこの人が願うならば、自分は彼の前に立っても恥じることの無いような皇后になりたいと思う。――だがその前に確かめたいことがある……。 「ハインリッヒさまは、以前に命尽きても変わらない想いがある、と仰いました」  それを、どうしたら証明できる? 命尽きれば物言わぬ骸だけが残る。それはとても悲しいことだけれど真実……でも目の前の彼が言ったのだ。 「そうだね……私の心は常に君と共にある」 「……っならば! わたしのためにイシュタリアを手に入れることができますか? 将軍の地位も捨て、わたしのために生きることができますか!?」  言うに事欠いて、なんて馬鹿なことを言う娘かと思われただろうか。でもそれでも構わない、一文にもならないと笑って取り合わないなら、しょせんはそれだけの思いだったのだ。質(たち)の悪い冗談だとは自分でも思うが、彼の真意を推し量りたい。 「……では、君が励んでいるという兵法で、君の願いに応えてみようか」  ハインリッヒは驚きはしたが、黒薔薇のことを馬鹿にしたり、無意味なことだと退けたりしなかった。涼やかな声に逆に黒薔薇が怖じ気づくぐらい、彼は平然としていた。 「で、では、イシュタリアの転覆を考えることができますか!」  気勢をそがれて、黒薔薇は狼狽しながら威嚇するように吐き捨てる。国家転覆なら愛より恐れが勝るだろう――だがハインリッヒは逆に黒薔薇を試すかのように声の調子を強めた。
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