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「レイ、晩餐会の準備を」
「皇妃さま……」
そう、そんなにも権力者の宴は大事か。マーサの命より、ずっと……?
ならば出席しようではないか。出席しなければ、ここぞとばかりに黒薔薇をそしる輩しかいなくとも、本当にマーサの命より大事なことなのか、この目で隅々まで見よう。
弱った心を叱咤し、黒薔薇はマーサの亡骸を見つめた。いまはもう、瞼を閉じている。まるで眠ったかのように見える白髪交じりの侍女に、ただ無性に抱きつきたかった。
――マーサ、一度もあなたみたいに笑えなかった……。
愛するより愛された方が幸せだと、生前の彼女は言っていた。
黒薔薇の胸の裡を、ハインリッヒの悠然とした微笑みが彩った。マーサのあのときの言葉が、やっと黒薔薇に届く。
ああ、あの人に逢いたい。愛されていたい……こういうことなのね、マーサ。
自分の心に少しだけ素直になれた。代償はあまりにも大きく、胸の軋みは続いても。
フィオーリア主催の晩餐会には貴族たちは勿論のこと、皇帝や第二皇妃ガーネット、さらには皇子、皇女までが参加していてそれは華やかなものだった。フィオーリアの宮に来たのは初めてで、その絢爛豪華なさまに、彼女の後ろ盾の強さを垣間見る結果となった。
「皇妃さま、あの……緊張で、お腹が……」
侍女として連れてきたレイは、十四歳のうら若き美少女だが確かに場に馴染んでいない。だがヴェルナー男爵家の娘でもあるので、こうやって社交界に慣れさせるのも、黒薔薇の責務でもある。
特注されたお仕着せを着込んだレイはいつもより数段緊張しているように見えた。
と、皇帝が近づき大層な剣幕で黒薔薇を見つめてきた。
「黒薔薇よ、私の誘いを断り続けたそなたが、なぜこの晩餐会に出席している」
心の中で、マーサのためです、と言う。
「陛下、此度は皇妃としての任を全うするために参りました。恐れながらわたくしたちは夫婦にございます……このような特別な場を設けずとも、いつでも会えますわ」
言外に「二人きりならいつでも会いたい」というニュアンスを加えて、黒薔薇は艶然と微笑む。すると皇帝は気をよくしたように、黒薔薇の体を抱きしめ、賛辞の言葉を述べた。
「愛(う)いやつよ……そなたの無礼も、この増すばかりの愛おしさの前では詮無きこと」
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