第三章 密やかな逢瀬

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「できる、と答えれば君の心を喜ばせられるだろうか……さあ、時間はある。始めよう」  狭い倉庫、ふたりきりの閉ざされた空間。蝋燭の淡い灯りを頼りに、二人肩を寄せ合って、ときおり愛の言葉を囁きながら、広げた紙に大きく『イシュタリア転覆についての案件』と戯れに書く。 「イシュタリアは貴族の力が強い。皇帝の絶対権力も、後ろ盾の貴族があってこそだ」  ではまず貴族を握ればいいのだろうか。悪だくみをしているようで、だんだん楽しくなってくる。微笑み合いながら黒炭を削ったペンで記すと、ハインリッヒから待ったがかかった。 「けれど保守的な貴族が恩恵を捨ててまで動くはずがない。命をかけて戦っている兵たちの掌握からだ、彼らは自分たちの犠牲の上に成り立っている貴族政治を快く思っていない……」  なるほど狙うならば軍事クーデターというわけか。確かに貴族たちは位の低い兵のことなど歯牙にもかけていない。彼らが命をかけて戦っているからこそ、イシュタリアの繁栄はあるのに、そのことを無視してあぐらをかいているとは、亡国となったアルメダ貴族の愚かさを見ているようだ。 「ではハインリッヒさまが皇帝になられるのがよろしいですね! 一兵卒からも敬愛されていると聞きます、ハインリッヒさまのお言葉なら、兵たちも動くでしょう」  冗談で言ったつもりなのに、ハインリッヒは曇った笑い声をたてて、黒薔薇の口を自分のそれで塞いだ。むつみ合いながら、時折じゃれ合って、面白おかしく「イシュタリア転覆案」を書き進めていく。この時間が、いつまでも続けばいいのに。優しい声、表情――この人の腕の中なら心が安らぐ。誰からも蔑まれたりすることのない温かくて幸せな時間。 「君を愛しているよ……黒薔薇」  ハインリッヒの言葉を収めたままにしておけるオルゴールがあればいいのに。
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