第四章 なにもかも過ぎてゆく

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 夜、マティウスはハインリッヒの執務室を訪れて、整理し終えた書類を手渡し、確認のサインを貰っていた。これでお互いに今日の仕事は終わりのはずだ。 「"いい"人のところに通うのも良いですけど、たまにゃ男どうしで飲みません? 女抜きで」  仕事の後の酒ほど美味いものはない。くいっと一杯あおる仕草をすれば、ハインリッヒは柔和な面のまま頷いた。 「いいよ。君の言うことだからきっと無礼講かな?」 「もちろん! お代はハインリッヒ君、君持ちで」  さっそく無礼講だ。執務室にいたハインリッヒの部下エドワルドとユーダスが顔をしかめるが、まあ二人の関係は主従であり、悪友のようなものでもある。仕事場で飲むなんて辛気くさいから、帝都の高級酒場に向かう。  ――仕事はあとに持ち帰らない主義なんだが……いましかないか。  馬車の中で、マティウスはハインリッヒに聞いた。 「で、"第二皇子殿下"はセルシアについてなんて言ってるんで? あと皇位継承とか……うちの家は殿下の後ろ盾やってるってだけで、兄皇子殿下から睨まれてノイローゼ寸前でさ」  ハインリッヒは淡緑の瞳をわずかに細め、マティウスの心奥を見透かすかのように鋭い視線を向けた。馬車の中で、馬のひづめの音だけがこだまして、妙に耳に付いた。 「その答えを私から聞きたいのかい? それとも第二皇子から聞きたいのかな?」 「恐れ多いから前者で」  ハインリッヒは全てを知っているくせに、まるで自分は関わっていないような口ぶりをするからくせ者だ。シーリンガー家もなにも道楽で第二皇子の後見をしているわけではない。さっさと皇帝になってもらって、お家騒動の解決を皇子自身に着手させ、シーリンガー家に相応の見返りを、というのがマティウスの父親の本音なのだから。 「そうだね。私は地理的な要になるアルメダを取られたことが、セルシアにかなりの重圧感を与えているのだと思っている。もちろん第二皇子もそう思っているし、それは君も分かるだろう。軍備増強路線を推し進める結果になったのは否めないがね」  確かにアルメダは資源が豊富で、なおかつセルシアまであと一歩というところまで食い込める地理的な要だ。セルシア公国にとっても自分の庭のような場所を、三日で侵略されたのだ。慌てて軍備を増強させるだろう。 「皇位継承の問題はね、君の家に苦労がかかるんじゃないかな……?」
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