第四章 なにもかも過ぎてゆく

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 レイが黒薔薇の指示どおりにドレスの手直しを紙に書いていく。衣装係にそれを手渡しに行っている間、黒薔薇はヒールの高いオフホワイトの靴に履き替え、ダンスのステップを練習する。イシュタリア人はもとより平均身長が高い上に、階級が高くなるほど背も高くなっていく傾向が見られる。舞踏会に出席するのは男爵以上の貴族たちだから、彼らに埋もれないためには、つま先立ちするようなハイヒールを履かなければならない。それでもきっと小さいと嘲られるだろうが、履いていかないよりは幾らかマシだ。  黒薔薇がよろよろと危なっかしくステップを踏んでいると、扉が叩かれた。  ――レイ? 早いのね。 「入っていいわよ」  扉に背を向けたまま、黒薔薇は入室の許可を出す。裾が邪魔にならないように持ち上げて、はしたなくも足首を出したまま。 「おや、姫さん随分大胆だな」 「え?――きゃあッ!」  虚を突かれて、ただでさえ不安定だった足下がぐらつき黒薔薇はこけそうになった。そこをたくましい腕が伸びてきて支えてくれる。 「おっと……」 「マティウス! レイかと思ったのに……」  入ってくるなら声をかけてくれれば良かったのに。そうすれば、こんな恥ずかしい格好を見せたりはしなかったのに、マティウスも意地の悪い事をしてくれる。  頬を膨らませて抗議の声をあげると、なだめられるように頭をぽんぽんと叩かれた。 「いつまでこの体勢でいる気だ? 俺としては嬉しいけどな」  そう言われて、やっと自分がマティウスの胸に体を預けていることに気づいた黒薔薇は、弾け飛ぶかのようにマティウスを突き飛ばして離れた。  この男は本当に自分のことを皇妃だと理解しているのだろうか? いつだって食えない態度で馬耳東風を決め込んでいるかと思いきや、こんなふうにちょっかいを出してきては黒薔薇を困惑させて楽しんでいる。普通だったら不敬罪にあたるだろうに、この男ときたら全く気にかけた様子がないではないか。 「ニーナのやつ、まだ見つからないのか? 本気で実家に帰ったとか」 「冗談は受け付けていないわよ」 「冗談の通じない主人にいよいよ愛想が尽きたとか……」  ――失礼ね!  皇帝陛下の信の厚い人だとは到底思えないほど無分別だ。無遠慮にもほどがある。からかうのなら他の女にしてほしいものだ。どうして自分なのだろうか?
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