ラノベ新人賞歴代最多落選数を持つ私がラノベ作家を志した経緯

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2008年3月、内定が出ないまま大学卒業。 2008年4月、文筆活動に目覚める。 2008年6月30日、小説新人賞に初応募。【第4回電撃リトルリーグ】 2008年8月、地元市役所の面接試験に落ちたのをきっかけに、ラノベ作家を目指そうと思い立ち長編小説の執筆に目覚める。(地元市役所はその後も2011年まで四年連続で受験し、筆記だけは毎年通過) 2008年10月1日、ラノベ新人賞長編小説に初投稿。【第14回スニーカー大賞】 以降、毎月のようにラノベ新人賞に投稿し、常に選考中のラノベ新人賞があるという状況を保ったまま現在に至る。 2008年12月、週刊少年マガジン主催のネーム原作賞にも応募。 この頃、『ベテラン就職活動家』という用語も思いつく。 2009年~、業界とのコネを作ろうと思い立ち、ゲーム会社、アニメ制作会社、レコード会社、出版社、玩具メーカーなどエンタメ企業の採用試験にも応募するようになる。 この手の企業については、書類または筆記試験落ちで面接試験まで辿り着けたことはただの一度もありません。 【不採用となった主なエンタメ企業(社名は当時のもの)】 《京都アニメーション、講談社、芳文社、アスキー・メディアワークス、ソニーミュージックグループ、ポニーキャニオン、ユーフォーテーブル徳島、株式会社あわわ、キングレコード、タカラトミー、アニメイト、ハピネット、JCスタッフ、ブロッコリー、任天堂、コーエー、ハドソン、ユークス、HAL研究所、日本一ソフトウェア、カプコン、ケイブ、テンキー、AQインタラクティブ、ファルコム》 集英社、小学館、秋田書店、メディアファクトリーにも応募しようと思ったが、当時でもすでに応募資格外(募集条件:卒業見込みの者)だったため断念。
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