第1章

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 何か勘違いしている母に心の中で反論しながら、千夏は笊を抱えなおした。そのままもう母には目をくれないで畑を抜ける。そこからは細い野道が、立ち並ぶ民家の裏手へ続いていた。右手に民家の軒、左手に孟宗竹の生い茂った小道はどんなに暑い日でも薄暗く涼しい。薮蚊が出ることさえなければ、一日中でも座っていたいほどだ。冷房機は確かに夏の生活を快適にするが、千夏はできれば自然の涼を感じていたい性だった。お世話になるのもクーラーではなく、もっぱら扇風機の方である。  ガサガサと枯れ落ちた竹の葉を踏んで、民家の裏を三軒ほど通り過ぎると、ふいに視界が開ける。薄暗さになれた目を、日差しに白く輝く庭土が焼いた。乗用車なら横に四台は並べられそうな庭の向こうに、平屋作りの家が見える。年代を感じさせる古びた木の家が、千夏の目的の場所だった。家の周囲にぐるっと生垣がある他は特に柵などはなくて、小道からそのまま庭に入れてしまう。満開の百日紅(さるすべり)の下をくぐって、千夏は足を踏み入れた。 「こーんにーちはー」  勝手知ったる幼馴染の家である。玄関に回ることなどなく、開け放された窓に向かって声を張り上げる。庭に面した窓という窓が開けられていて、低くも高くもない千夏の声は良く通った。この家には必ず誰かしら在宅しているので、河合家以上に防犯意識が薄い。居間に続く濡れ縁に腰掛けて待っていると、奥からはーいという柔らかな声が返ってきた。 「あら、千夏ちゃん。いらっしゃい」  薄紅の前掛けで手を拭きながら、正人の母が顔を出す。裏手で何か水仕事でもしていたらしい。ゆるい曲線を描く短い髪や白い頬にまで、水の玉が飛んでいた。客人が千夏だと知って、端整な顔をほころばせる。
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