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「話をしよう」
放課後。夕日が差し込む十畳ほどの部室の中。
イスに座ってボーッとしていた語部が、いきなり口を開いた。
「ほいほい、どうぞ」
僕は読んでいた文庫本を閉じて、語部に話の先を促した。
「・・・ちょうどこんな感じのオレンジ色の空だった。
俺は、少し川幅の広い川の土手沿いを死に物狂いで疾走していたんだ」
僕がボイスレコーダーの電源を入れるのとほぼ同時に、語部はゆっくりと語り始めた。
「どこかを目指しているのか、それとも何かを探しているのか、何者かを追いかけているのか、それすらも分からない。ただ、俺の意識は『ひたすらに走れ』と騒ぎ立てているんだ」
「立ち止まろうとは思わなかったのか?」
「・・・ああ。なぜだろうか、『立ち止まる』という考えは微塵も頭をよぎらなかったな」
僕が質問すると、語部は少しの間、考え込む素振りを見せたが、すぐに返答してくれた。
「じゃあ、疲れてはいなかったのか?」
「疲労感のようなものはあった。ただ、肉体的な疲れとはまた別なようだったと思うんだ」
今度は即答した語部は、ゆっくりと、考えながらポツポツとつぶやくように話す。
「・・・息は切れていた。それは間違いない。しかし、肉体的な疲労よりも、心がとても疲れているように感じていたんだ。肉体的疲労を感じなかったのはそれが理由だろうか」
「つまり、精神的疲労?」
「そうだな。そういうことになる」
あっさりと肯定した語部は、しかし首を傾げた。
「だが、ただ疲れていただけじゃない。何か、とても強い感情に支配されていたような・・・」
しばしの沈黙。語部が、眉間にしわを寄せたまま、何かを思い出そうとしている。僕はその様子を静かに見守った。
やがて。
「・・・・・・なみだ」
語部が一言、呟いた。
「そうだ、涙。俺は涙を流していたんだ」
顔をあげて宙を睨む語部。
「俺は、悲しんでいたんだ。胸が悲しみで張り裂けそうに痛かった」
「何に悲しんでいたのかは分かる?」
「・・・いや、分からない」
残念そうに首を振る語部。
「・・・続きを話そう。
俺は、やがて土手沿いから離れた。そうしてなおも必死に走っていると、目の前に長い石段が見えたんだ」
「長い石段?」
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