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「しゃべった内容はやっぱり?」
「覚えていない。
そうこうしていると、少年は寂しそうな笑顔を浮かべながら、一言何かをつぶやいた。俺はそれを聞いてさらに詰め寄り、死に物狂いで何かを説得しようとするんだが、少年はついぞ首を縦に振らなかった」
そこで区切って、大きく深呼吸をする。気分が落ち着いたのか、語部はの体の震えは止まっていた。
「やがて、しがみつくようにしていた俺の体を振り払うと、少年は一歩だけ距離をとった。そして、さいごに何かを呟いた。
俺は少年に向かって手を伸ばそうとしたが、風が強く吹き、夕日に染まったタンポポの綿毛が視界を覆った。それが収まると目の前にいた少年は・・・消えていた」
再び沈黙が続く。これで話は終わりかと思ってボイスレコーダーに手を伸ばすと、「まだ続きがある」と語部が制止してくる。
「やがて俺は、落ち込んだ気分だったが、家に戻ろうと石段の方を向いた。すると、そこから見える景色に違和感を覚えたんだ」
「風景が変わっていたのか?」
「いや、さっきまでとなんら変わりはなかった。でも、なぜだかそこから見える景色は自分が慣れ親しんだあの景色ではないと感じたんだ」
風景が同じなのに違う。何やら矛盾をはらんだ文言のように感じる。
「それでも気のせいだろうと思って石段を降り始めた。そこで不思議なことが起こったんだ」
ここで一拍おいて息を吸う語部。
「・・・忘れていくんだ。今まで起こっていたこと全部」
「・・・どういうことだ?」
「ここでこれを話している『俺』は覚えているんだ。でも、その体の持ち主である『俺』は、今まで語った出来事を全部忘れていく。なんだか変な感覚だったよ」
「つまり、ここで話している『おまえ』とその時忘れていった『おまえ』は別人格だと?」
「おそらく」
1人の体の中に2人の意識が存在していたというのか。
「正確には、なんであんなに必死に走っていたのか、なんであんなに悲しかったのか、そういうことが分からなくなってくるんだ」
「あの少年のせいじゃないのか?」
「恐ろしいことに、その少年のことばかりを忘れていくんだ」
「はあ!?」
そんなおかしなことがあるのか? 他のことは覚えているのに、特定の人物に関する記憶だけ消えてしまうなんて。
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