≪栄治力投す≫

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 昭和五(一九三〇)年、全国少年野球大会全国大会に出場を果たすも、栄治の明倫小は二回戦で敗退してしまう。  栄治の力投が実らず、味方のエラーによるものだ。  栄治は、初めて思い知る。  野球は、決して個人競技などではなく、団体競技である故の恐ろしさを──  その年の夏、栄治はバッテリーを組む山口千万石と共に旧制中学である京都商業(現在の京都学園高等学校)に編入学する。  そして、七月二十四日から始まった第十六回全国中等学校野球選手権大会(現在の全国高等学校野球選手権大会)京都府予選に、栄治は京都商業のメンバーとして出場、控えの内野手としての登録であった。  しかし、京都商業は初戦の舞鶴中相手に1-13の大差で敗れ、予選二回戦で敢えなく姿を消してしまう。  京都商業での一年目、栄治に出番が回って来る事はなかった。  次の年、昭和六(一九三一)年の大会、京都商業は予選二回戦に当たった京都師範学校戦で3-13の大差を喫し、またもや初戦で敗退する。  その後、チームの編成が一新され、控えの投手となった栄治に思わぬチャンスが巡って来た。
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