五章

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 ***  腕の中で眠る北条の、最後の温かさを掌に沁み込ませる。鼻をすすり、嗚咽をかけらも残さず飲み込んだら、きっ、と気丈に顔を上げた。  咲人は左腕と引き換えに、鬼の顎を破壊した。刀を鞘に納めた理由は分からないが、恐らく居合斬のような一撃で仕留めようとしているのだろう。一瞬の隙すら見逃すまいと、鬼の一挙手一投足を見つめている。 「……お父さん、北条さんをお願い」 「おい、お前何を」 「見るだけだから黙ってて」  ぴしゃりと言い切って、北条を幸三に託す。月光すらまともにないせいで見にくいが、目もだいぶ慣れてきた。鬼と咲人の最低限の動きは視認できる。 (……私が)  北条の最後の頼みだ。絶対に咲人を一人では戦わせない。対象である生き物を観察し、特徴を見つけ出して、分かりやすくまとめる。十年近く毎日の習慣としてきた、自分の得意分野だ。ここで活かさずして、いつ活かすというのか。 (私が、咲人くんを死なせない!)  などと意気込んだはいいものの、二人とも動きが早すぎて、目で追うのがやっとだ。  咲人は鬼の攻撃を、あえて紙一重で避ける方法を選んでいる。犬を取り込み、並々ならぬ瞬発力を得た鬼に、助走するだけの距離を与えるわけにはいかない。そうした意図があるのだろうが、かえってそのせいで、刀を抜く暇すら見出せなくなっている。そうでなくとも、あの太い爪に引き裂かれてしまわないかと、見ている奈々子の肝も冷えた。  と、次の瞬間、鬼の方が大きく後ろに跳んだ。着地と同時に身を縮め、力を溜めてから跳躍。筋肉の弾丸となって襲いかかる。  わずかに呼吸が止まってしまったが、咲人は冷静に横へ避けた。的を外した鬼は、派手な砂煙を上げて制動をかけると、またすぐに咲人に迫る。激しい動きに合わせて、粉砕された下顎が痛々しく揺れるが、激痛すらも自分の力に変えているかのような気迫だ。
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