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星奈
Misty
「やり手店長アナのあんな可愛らしい笑顔を見れる日が来るとはなあ」
今日、俺が日ごろから常連客として贔屓にしている本屋『Prose』の店長、アナの婚約パーティがバー『Misty』であった。それもお開きになり外に出てみたら、街灯の光の下に光る糸が何本も降り注いでいるのが目に入った。
「わーい霧雨だあ。濡れてまいろう」
あの声は。
真っ暗な夜空を見上げているのは麻里だ。かなり酔っぱらっているな。
麻里とはまだ彼女が高校1年生の頃にProseで知り合った。もう6年も前だ。当時院生だった俺は彼女の勉強の面倒をみてやったりした。大学生になった麻里はProseでバイトを始め、今じゃ店員よりも店のことを知り尽くしている。
おい、ちょっと待て。そのまま歩いて帰る気か!?
傘はどうした、傘は!
アメリカの東海岸にあるこの町の初夏の天気は気まぐれだ。一日の間に晴れから曇りから雷雨までフルコース体験もめずらしくはない。だから傘はバッグにいつも入れとけって言ってるのに。
「麻里! 」
「あ、ケーン」
「ほら濡れるぞ」
「これっくらいへっきー」
平気じゃないだろ。遠慮がちに髪に触れるともうかなり濡れそぼっている。
「ほら入れよ」
自分の黒い大きな傘をさしかけた。
「だいたいが近いとはいえ、こんな時間に女一人で夜道を歩くな」
「へーい」
呆れたやつだな。
「ほらまっすぐ歩」
「きゃあ!」
何かにけつまづいた麻里の腰を慌てて支えた。
腰に回した手はそのままに、俺たちはまた歩き出した。
麻里も嫌がる風でもなく、むしろ体をこちらに寄せてきた。
いやきっと濡れたくないだけなんだろう。
呆れるのは俺自身の方だ。
6年も傍にいながら。
面倒見のいい兄のような立場になってしまったこの関係を壊すための一歩が踏み出せない。
さっきまではしゃいでいた麻里は何故か何も言わない。
霧雨はシールドのように降り注ぎ、二人の足音以外何も聞こえない。
あの角を曲がれば、もう麻里の自宅だ。
赤信号で立ち止まった俺のコートの裾が引っ張られた。麻里だ。
「あのさ」
言いかけた俺の声にかぶって向こうから、「麻里~! ごめんね先に帰っちゃって。雨降ってくるなんてー」と大きな声がした。こちらに向かって走ってくるのは、麻里の家に下宿している瑠奈だ。
「あ、ケンと一緒だったんだ? 」
麻里が俺の方を見上げた。瞳がMisty(潤んでいる)なのは雨のせいなのか……。
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