32人が本棚に入れています
本棚に追加
依代
雨待ちの彼女
シトシトと降り続く雨の下、彼女がずっとそこで雨宿りをしていることは、随分前から知っていた。
いつもは知らないフリをして通り過ぎてしまうのに、今日はそこで立ち止まって傘をたたんだのは、どうしてだったんだろう。
彼女と同じ軒下に入って、たたんだ傘を片手に空を見上げる。
うっすらと曇った空から滴る雫は、霧雨と呼ぶには強く、篠突くと表現するには弱い。
そんな空を、彼女はずっと、微動だにせず軒下から見上げていた。
「……誰を待っているの?」
彼女がただ雨宿りをしているわけではないと、俺は知っている。
全身を濡らした彼女の頬が、雨以外の雫に濡れていることも。
「待っていても君の待ち人は来ない。……そのことは、分かっているね?」
前を向いたまま声を放る。
空を見上げたままその言葉を受けた彼女が、始めてうつむいた。
細く何か言葉がこぼれる。
だけどその言葉は、俺の鼓膜を震わせるほど強くはない。
「……待っていても来ないなら、君が迎えに行けばいい。君はもう、ここに囚われなくてもいいんだよ」
傘を、広げる。
自分で差すためではなく、彼女に差しかけるために。
「待ち人、捕まえられるといいね」
広げた傘を、彼女の足元に置く。
はっと跳ねあげられた顔には、涙に濡れてもなお美しい瞳があった。
彼女の指が傘を取り、そっと肩口に傘の骨があてがわれ、躊躇うように足先が軒下から出る。
その瞬間、ふっと彼女の姿はそこからかき消えた。
タン…タン……と余韻を残して、零れ落ちる雫が止まる。
「送ってあげたんだ、彼女」
薄日が差す空の下には、消えてしまった彼女の代わりに見慣れた少女が立っていた。
ついさっきまで雨が降っていたにもかかわらず、彼女の手には傘がない。
それでも彼女の体は、一切雨に濡れていなかった。
「雨が降るたびにここの軒下に現れてた、雨待ちの幽霊。どういう風の吹きまわし? あれだけ放置していたくせに」
「たまにはいいだろ、こういう気まぐれも」
俺は気のない声で答えると、彼女の元へ歩み寄るために軒下を出た。
雲を割って現れた青空には、眩しいほどの虹がかかっていた。
最初のコメントを投稿しよう!