神無 ―カンナ―

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 例えば、今、目にしている美しいとしか評し方の分からない風景。つい数日前まで耳で楽しんでいた鳥のさえずり。  人間に支配されていなければ、決して目にすることも耳にすることもなかったものだ。雪なんて降らなかったし、"力"を持つ神鳥はいたが、特定の時期にしか鳴かない。朝、無邪気に(さえず)るだけの鳥は存在しなかったのだ。  人間に支配されるまで、人間が自分たちのことを人間と呼ぶような呼び方は、耀たちにはなかった。そもそも必要性を感じなかった。しかし、同じ世界に人間たちと同居するようになり、半ば強要されるように、燿たちも自分たちのことを神と呼ぶようになった。神――それは蔑む呼び名だ。  今となっては人間が神を崇めていた時代が懐かしい。  もともと我々の間には人間とは直接関わらないという暗黙の了解があった。自然災害などで介入することはあっても、直接言葉を交わすなんて言語道断。それでもはめを外す仲間は後を立たなかった。人に憑依して語りかける。または天から声を轟かせる。  人間たちが力の及ばない尊い存在を神と呼んでいることを知り、自らのことを神と名乗った。それが流行となり、他の仲間たちも神を名乗り、人間界にどんどん関わっていった。  愚かなのは果たして人間だったのだろうか。いや、違う。首を横に振らざるをえない。本当に愚かなのは――我々の方なのだ。  人間にとって神とは、実際には存在しえない心の拠りどころに過ぎなかった。それなのに仲間たちが直接人間界に介入し、その存在を人間たちに知らしめてしまった。  神は存在する。神はどこかにいる。神の世界は素晴らしいはずだ。人間界よりもずっと。  思い返せば、神の世界を乗っとるという考えが人間たちの頭にやどる第一歩はここにあったはずなのだ。
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