第三話 ポルフレクサンの波止場

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「あ、いえ…」  男が店に入ろうとしているので、晴香はそのまま押し入れられるように店に入った。店内はカウンターの中のマスター以外、誰もいなかった。晴香は所在無げに一番奥のテーブルに座った。脱いだジャケットを横に置きながら壁を見ると、絵が飾られている。どこかの波止場の絵だ。少し店内が明るくなって、絵が光を帯びたような気がした。じっとその絵を見つめる。夕日、いやこれは朝日だろう。明るいグレーの海から陽が立ち上っていた。澄み切った新鮮な朝の空気が波止場を取り巻き、船をゆっくりと押し出しているような絵だった。 「きれい…」  思わず呟きながら姿勢を正すと、マスターが注文を取りに来ていることに気づいた。慌ててメニューを開いて、目についたカクテルを注文した。 「ギムレット、お願いします」  カクテルが来るまで、晴香はずっと絵を見ていた。海は良い。早く就職して有給休暇がもらえるようになって、海を見に行きたい。でも、描かれているこの海は日本ではないだろう。どこの国かな。就職の追い詰められた気持ちから逃れて楽しい想像に浸って眺めていると、海の真ん中に何か黒いものが出ていることに気づいた。黒い、小さな小さな三角形が見える。 「なんだこれ?」 「それね、多分ルイ・ヴィトンのトランクだよ」  驚いて目を上げると、先ほどの男が晴香の注文したギムレットを持って立っていた。 ここの従業員だったのか。晴香が驚いて声も立てずにいると、男は目の前に勝手に腰掛けて、晴香の見ていた絵の疑問を解説し始めた。 「昔のルイヴィトンのトランクは、水難の事故にあっても浮くように作られてたんだって。今は製造されてないらしいけど」 「ふうん」  品良く笑う男に、つい笑顔で返事をしてしまう。晴香はギムレットを一口飲んだ。グラスを置き口を開こうとすると、男がまた話し始めた。 「綺麗な波止場だよね。行ってみたくない?」 「そうですね…」  まだ一口飲んだだけなのに、なんだか意識がぼおっとしてきた。気持ちがいい 「どこにあるのかな…この海」 「そこだよ…」  男の声に海を覗き込むと、黒いものは四角い様相を海面に現していた。パチンとそのトランクが開き、魚が一匹流れ出た。口をパクパクとさせて必死にエラ呼吸をしているように見える。魚のくせに溺れているようだ。
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