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満帆が教室を飛び出していった。
インターハイを間近に控える身である。無理もない。
ひとり取り残された哉絵は、声なく叫んだ。
だれか助けて。
目の前の景色は何も変わらない。空気さえも、まるで動いていないようだ。
もちろん、うれしい何かが起こるなんて、最初から期待していなかった。
机に広がった紙の束、体育大会実施案を取り上げ、教室を出た。
廊下はあきれるほど明るく、どんよりと暑い。
満帆が置いていったこの書類に、担任たちの判子をもらわなければならない。行き先は職員室。この建物の4階にある。
去り際の満帆の言葉が、耳で繰り返された。
あとよろしくね。
いつもありがとう。
おつかれさま。
昨日までならまったく気に留まらなかっただろう。
聞いてはいけない会話を聞いてしまった。そんな自分を呪った。
「まったく、なに様のつもりなんだろうね」
「また枝美子はそんなこと言って」
「だってそう思わない?満帆が忙しいから、ちょっと仕事を任せてあげたら、偉くなった気になっちゃってさ。あれやれこれやれ、だもんね。哉絵がやらなければ、ほかのだれかがやるっていうだけなのにね。なんで満帆は哉絵になんか任せちゃったかな」
「哉絵がやりたそうだったんだから、仕方ないでしょ?それに、だれか他にやってくれそうな人いた?」
「そりゃやっぱり、あたしでしょ。いまだって、実質あたしがやってるようなものだし」
「はいはい。これからも頼んだからね」
情けなさと悲しさが、両手からあふれ出す。
どうしてあのとき、筆箱なんか置き忘れてしまったのだろう。どうしてあのとき、取りに戻ってしまったのだろう。
聞きさえしなければこんなこと、なんの問題にもならなかったのに。
やりたいなんて言った覚え、ないんだけどな。あれやれこれやれなんて言った覚え、ないんだけどな。大変そうだから手伝おうかと、枝美子の方から言ってくれたと思っていた。
目の前に暗く吸い込まれそうな世界が広がった。ひとつため息をついてから、その古い階段をゆっくりと登り始めた。
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