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前日、80歳になる母と山手線に乗り込みました。半分ボケて来ているので、足元がおぼつかないながらも、そばによりそって乗り込むと、中は、混雑気味。
母の身体を支えながら、シルバーシートの方に誘うと、肩で拒否するさ感じが伝わってきます。
「座ろうよ」と声をかけると、「いいわぁ」とやんわり断りました。
「何で?」
「そんな年じゃないし」と小声でさささやくのです。
そんな年だろう!後期高齢者だし、よろよろしてるし、と思いながらも、何とか柱のあるところまで誘導していくと、座席に座る何人かの人と目が会いました。
いかにも譲る気満々なのが、目で伝わってきますが、混雑しているので、そこまで行くのが、母の協力なしには、難しいのです。
母は、そういう優しい目線には、目を会わせず、下を向いたり、窓の外をみています。
母は、世界恐慌の年に生まれ、日中戦争や、太平洋戦争、戦後の食糧難など、日本史で必修となるような現代史をいきてきました。貧しい農家そだちですが、勉強が好きで、学校への通学には、歩いて2時間もかかかったといいます。母にとっては立つことや歩くことなどなんでもないのでしょう。
だから、電車に乗れるだけでもうけもの。それ以上望むなんて考えられないのでしょう。
考えてみると、私が小さいころは、子供は席に座らせず、空いていても、一家全員で立っていたことを思いだしました。
結局、母は立ったまま、目的地で降りました。
「何で座んなかったの?」と聞くと「シルバーシートであたしが立っていたら、席を譲れって言ってるみたいだから嫌なのよ。それにあたしは働いてないから、働いている人が優先だよ。みんな寝ていたじやないか」
私は反論の言葉がありませんでした。ただただ立派だと思いました。年を重ねるとは、こういうことかと考えさせられました。
でも、口にはだしません。今日もこの立派な母の介護があるから。
「今日は何日?薬飲んだ?」
「飲んだよ、三回目!」
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