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「……今夜ね。またウチの亭主、町内の寄り合いで遅いんだよ」
絡みつく視線は、それでも百合の茎に絡め取られる時よりもずっと痛くない。
「ふふ……独り言よ」
「…………」
こんな風に、僕はどこまで堕ちていくのだろう。
生きているのが地獄なら、それならいっそ自ら本物の地獄へ堕ちればいいのに。
(その方がずっと楽になれる……)
それなのに、この世にしがみついているのはどういうわけか。
僕の目が壁際に置かれたイーゼルに自然と引き寄せられた。それには黄ばんだシーツが掛けられ、僕を無言で拒絶している。
(あれの呪いだ。アレを残して死ねない。かといって向き合う事も、もう僕には……)
「ちょいと、こっちをお向きよ秀之助さん。まんざらでもないくせに……」
その時だった。
襖が大きく開け放たれ、現れた一人の男がマチ子の手から僕の絵を取り上げた。
「……春画とはな。だが確かに、君の絵だ」
その低い声に、僕の全身がザワッと粟立つ。
「やっと見つけたぞ。いつまでそうして逃げ回っているつもりだ、秀之助」
「師匠……!」
飛び起きた僕を静かな瞳で見下ろすのは、大恩ある師、周防画伯。
最後に見たのは、血の海と化した部屋に飛び込んできて獣のように咆哮した背中だけ。
その喧騒に紛れ、僕は百合子の肖像画だけを抱えて逃げ出したのだ。
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