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日本列島に寒波が押し寄せ、生きとし生けるものを一様に震え上がらせる年の瀬の、ある夜のことだった。
親父が二十代半ばくらいの若い女を連れて帰ってきた。
いきなりのことだったから思わずきょとんとしていると、親父は事情を話し始めた。
「父さんはこれから仕事が忙しくなる。日本各地を飛び回るため、たまにしか家に帰ってこれないだろう。だからこの人と再婚して、いろいろお前の面倒を見てもらうことにした」
どうやら絶賛引きこもり中であるおれの身の回りの世話をする、いわば母親代わりを置くということらしかった。
実母はおれを産んだその年に不倫に走り、出ていったと聞いていたが、そんなに昔のことは当然覚えていない。
新しくやって来た若い女の名前は竜胆といった。
純粋な金色の長い御髪がさらさらと川のように流れていた。ルージュの薄く引かれた形の良い唇はキュッと引き結ばれていた。スッと通った綺麗な鼻柱に、少しだけつり上がった切れ長の目。さらには男の理性を粉微塵に破壊するほど起伏に富んだ妖艶な四体を誇る美しい女だった。
「こんばんは、逢坂桜君。これからよろしくお願いしますね」
最初は、美しいがいかにも生真面目そうな顔つきで取っ付きにくいだろうなと思ったが、笑うと小さなえくぼが浮かんでなかなか愛嬌があった。
親父が単身赴任中、竜胆はおれの身の回りのことをほぼ全てこなした。
炊事、掃除、洗濯。絵本から飛び出した人魚みたいな絶世の美女がやる仕事にしてはいささか使用人じみていてお粗末な気もした。
が、元来おれには働く気力というものが欠落していたから仕様がなかった。
その当時、おれは学校に行っていなかった。
理由はなにも苛められたからだとかそんなつまらないものではない。
教師や生徒に寄せられる期待、羨望、はたまた媚態。そういった、いわばプレッシャーのようなものが煩わしかったからである。
とりわけ、女に向けられる感情は様々な問題を引き起こした。
おれの四方八方を取り囲んでは野性動物のようにぎゃあぎゃあと奇声を上げ、周囲の人間にとっては、迷惑この上なかったに違いない。
また、こちらの女の相手をすれば、あちらが荒れ、そちらの美女の相手をすれば、全体が狂乱する。云うならば『地獄のパズルゲーム』を四六時中強いられているようなものだった。
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