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ある日のお昼過ぎ。
初春にしては陽が暖かく、ぽかぽかしていたから、庭先に生えた梅の木に咲いている桃色の花の香りを楽しみながら読書に洒落込もうかと、縁側に腰を下ろした。
本を開こうとすると視界の隅でカサッ、と白いものが動いた。
猫だった。白い野良。
まるで異次元から出てきたみたいに、突然、何もないところから現れたように感じた。
「ふむ......。おいで、白い野良」
別段読書にこだわりはなかったから気が変わって、猫と戯れることに決めた。
おれが、チッチッチッと口蓋音を鳴らすと、見えない力に引っ張られるようにして野良はふらふらと寄ってきた。
ひらりと優雅に縁側に飛び乗り、おれの側まで来ると、にゃあと一声、それから丸まって昼寝の体勢に入ろうとした。
近くで見るとほんとうに美しい野良であった。
雪のように真っ白で、毛並みも触ると野良とは思えぬほどすべすべしており、どこかのお金持ちの家から脱走してきたと言われたら信じてしまいそうだった。
気持ちよくてしばらく頭や胴体、お尻を撫で回していると、美しいヘビのように細い鎌首をもたげて、これまたルビーのように紅く透き通った瞳でこちらを見つめてきた。
どきん、と一瞬自分の心臓が激しく鼓動するのを感じた。
雌。
雌の目をしていた。おれに近づく雌は決まって、おれの全身をねっとりと舐めるように見つめるのだ。
──いや、気のせいかもしれない。そもそも猫に、会ったばかりの人間の魅力なぞわかるわけがないのだから。
けれど、その視線がおれの心臓にきつく絡み付いているような気がして逃れられず、思わずじっと見つめ返してしまった。
すると、その白く美しい野良はおれの少し色白な手をぺろりとひと舐めしたあと、膝の上に乗り上げてきた。
そしてあろうことか、おれの股間にその整った美しい頭蓋をすりすり擦り付けて、暫く経つと、そこに頭を埋めたまま眠ってしまった。
困った。
動こうにも動けなかったから、その美しい来客が起きるまで、やはりじっと読書をすることにした。
家の中からガタゴトと掃除機の音が遠く聞こえてくる。竜胆は今日もせっせと働いているようだ。
春の暖かな風に乗った梅の香りが鼻孔をくすぐった。
が、ひとたび読書に熱中するとすぐに、竜胆の働く遠音も、梅の匂いも、猫の重さも感じなくなった。
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