八百屋お七

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お峰にこっぴどく叱られたお七は、 以来大人しく火の番をするようになったが、 気が付くと炎の揺らめきを目で追いかけているようになった。 決して残虐なことを考えるような少女ではなかったが、 あの火の中へ飛び込んでいったカゲロウの姿が頭から焼き付いて離れず、 ああーーーまた虫が火に飛び込む姿が見たい と願うようになっていた。 ーーーそんなお七の心に芽生えた異常な欲求を両親は知ることなく、 天和の大火事の際には嬉々として目を輝かせる娘の手を引いて この寺まで避難してきたのである。 「では、早速離れにお通ししようーーーと言いたいところだが」 住職は困ったように後ろを見た。 「どうやらこれから後も多くの避難民がここを訪れて来ることでしょう。 私はそちらの手引きをせねばならんゆえ、案内は小姓に任せることとします」 住職はそう言うと、一人の小姓の名を呼んだ。 呼ばれた小姓がお七一家の前に現れた時、お七は反対側を向いていた。 寺の反対側ーーー江戸の町を見下ろせる方角には、 未だ轟々と燃える火の海が見えた。 「なんて…素敵…」 「おい」 お七がうっとりと火事を眺めていると、ふいに肩を掴まれた。 「案内してやるって言ってるだろ。 何ぼうっとしてるんだよ」 苛々とした口調で話しかけられたお七は、むっとして振り返った。 「何よ!それが寺小姓の口のきき方ーーー」 その顔を見た瞬間、体中に衝撃が走った。 それはお七がこれまで見たどの火よりも、 この江戸大火よりも熱く燃え滾っていた。 「…あ…」 「ほら、行くぞ!」 小姓はお七が呆然としているのに構わず、強引に腕を掴んだ。 お七ははっとして我に返った。 「ちょっと、痛い!腕を引っ張らないで頂戴!」 「お前がぼやぼやしてるのが悪いんだろ。 引っ張ってやってるんだから感謝しろよ!」 小姓は悪びれる様子もなく腕を掴んでいる。 「だから、痛いってば!」 「なら腕じゃなきゃいいのか?」 そう言うと、小姓は掴んでいた手をそのまま下へつつ…と降ろし、 お七の手をぎゅっと握った。
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