プロローグ 旅のはじまり

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「燃えている!燃えているぞ!」 江戸の町に響く叫び声。 それを遮るように甲高い音を立てて打ち付けられる火見櫓の鐘。 天和3年、一人の少女が付けた火は大きなものでは無かったが、 彼女の心に燃え滾る炎は江戸中の誰よりも激しいものであった。 ーーーそれから5年後。 久しぶりに伊賀の里から 呼び出された松尾芭蕉は、 項垂れながら長の元へと向かっていた。 忍を引退し、江戸に庵を築いていた芭蕉は 突然の呼び出しに戦々恐々としていた。 …また無茶な依頼をされるのではなかろうな。 戦国の世が終わり、徳川幕府が天下を治めるようになってからは 年々忍として生きる者の数は少なくなっている。 一言でいえば、忍が活躍する機会が減ったためである。 私の生まれである伊賀は、 服部半蔵など徳川家に忠義を貫いた優秀な忍を数多く輩出しているため 没落することなく、幕府の加護を受けている。 とはいえ、平和が続く世では諜報や暗殺などの依頼は減り、 来る依頼といえば人探しや浮気調査など庶民的なものばかり。 ならば忍である必要はないだろう、と 町には自営でそういった仕事を請け負う者が増え始め、 忍が活躍する時代は遠のきつつあった。 そのような背景から、私もまた 忍としての役目を終えたのである。 以降は住居を江戸に移し、穏やかな生活を送っていた。 が、足腰だけは健在であったため、ぶらりと旅に出ては 見聞きしたものを俳諧にすることを趣味としている。 だが歳を重ねるにつれ体力は衰えてゆき、 また見聞きすることが増えれば 新しく知るものも少なくなっていく。 旅の景色も耳にする話も過去に見聞きしたものと被るようになり、 新鮮な感動は生きた分だけ減っていくものである。 そろそろ俗世とも手を切る時が近づいて来たのだろうか。 5年前、あの出来事が起きてからは常々そう思う。 ーーーと、そのようなことを考えているうちに 芭蕉は懐かしい伊賀の里へとたどり着いていた。 しかし思い出に浸ることなく、すぐさま長の住む家へと出向く。 「久しぶりだな、芭蕉よ」 「長もお変わりないようで」 挨拶を早々に済ませ、長は本題を切り出した。 「早速だが、芭蕉よ。 お主、旅人を装ってある藩の調査をしてはくれぬか?」
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