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「はい!」
元気な声と共に家の中から駆けてくる声。
私よりも5つほど若いとはいえ、彼も良い年である。
しかし曾良は私が呼べばすぐに駆け付け、明るい笑顔を見せる。
そんな曾良の明るさにはこれまで何度となく助けられてきたが、
忍の身分を偽ることはずっと心苦しく思っていた。
「故郷への旅はいかがでしたか?」
「ああ、少し疲れたが良い旅だったよ」
「さすがお師匠。師匠の足腰に勝る若者はそうそうおりませんよ!」
「ありがとう、曾良。
ところでお主…私と共に旅をする気など、ないかな?」
「えっ?」
突然の誘いに曾良の表情が固まる。
はあ、やはり。
唐突に旅に着いて来いと言ったところで
彼には彼の生活というものもあるゆえ…
「ぜひお供させてください!」
芭蕉が項垂れるのとは真反対に、曾良は力強く返事をした。
「え…?!」
今度は芭蕉が驚く番であった。
「お主、まだ私はどこへどのくらいの期間旅するかも言ってはおらぬのだぞ?」
「師匠の行く先であればどのような場所でもお供致します。
師匠の数ある弟子の中から僕に声を掛けてくれただけで、僕はとても嬉しいのです!」
芭蕉はあっけらかんと笑って見せる曾良に心を打たれた。
やはり…このような純真で優しい男を連れて行くことなどできぬ…
「しかし曾良よ。
声を掛けておいてなんなのだが、この旅は苦労の多いものとなるぞ」
「どうしてですか?」
「向かうのは奥州の地。
江戸と違い整備されていない道や山越えの際には賊や獣が出没せんとも限らん。
そしていつこの旅を終えるかも、私は未だ決めてはいないのだ」
「そんなことですか。
大丈夫ですよ、僕も足腰には自信がありますし、護身術も習っています。
それに師匠は至高の句を詠むべく訪れたことのない地へ旅立つと言うのでしょう?
俳人を目指す僕にとってもこれはまたとない機会です。
そのような旅に、師匠と共に発てるのであれば、
例え道中行き倒れることとなっても、僕は本望です!」
はっきりとそう言い切った曾良に、芭蕉は感激してしまった。
情に流されやすいのが忍としての欠点だと長には言われ続けてきたが…
私はこのように忠義に厚い弟子に恵まれて心から幸せに思う。
芭蕉は曾良を旅のお供にする覚悟を決め、二人で江戸の地を旅立った。
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