第13話 12月24日(水) 午後6時0分

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「そのとき、私は気づいたんだ。さっきも言ったね。深淵だよ。人間と夜鬼を隔てる深淵だ。ケガをしていて動けないにも関わらず、陽子は本能的に私の瞳を見て怯え、何とか逃れようとした。そんな彼女の動揺に、私は気づかざるを得なかったんだよ。どんなに人間の真似をして、どんなに人間らしく振る舞っていても、私は――私の夜鬼としての本能は、彼女をただの肉として認識していたのだ、ということを」  血まみれの陽子を抱える竜之介の姿が、あの霧の夜に美咲の手を握りしめた翔自身の姿と重なり、そして再び焦点の合わない写真のようにばらけて消えた。  夜鬼――愛する人の発した言葉は、深く竜之介を抉ったのだろう。腕に抱えた陽子が死にゆく様を、竜之介はどんな思いで見つめたのだろう。そして幼かった日の亞里沙は、人間でありながら八季の夫を持とうとしていた、三津子は。  あのときどんなに耳を澄ませても、美咲のくちびるから出るはずだった言葉は、翔には聞こえなかった。あの冷凍庫で翔の瞳を見た悠馬でさえ、その言葉を口にすることはなかった。だから、信じようとさえ思えば、翔は彼らの心をまだ信じることができるはずだった。あのとき二人の目に宿った光は恐怖ではないのだと、いまなら否定することができるはずだった。そして、それは翔がこれから人間として生きるために必要不可欠な手順であることを、翔は痛いほど知っていた。  けれど、自分でも不確かな感情に声を詰まらせながら、翔はその先を尋ねていた。 「それから、陽子さんをどうしたんですか」 「病院に運ばれた陽子は、手遅れだった。私は彼女の遺体を火葬した。喰うことなんかできなかった、できるはずがなかった。陽子の骨を海に撒き、それと共に私は人間でありたいという願いを捨てた。それから私はアリサを連れて八季の元へと戻り、そこから先は君が知っている通りだ」  竜之介の瞳がゆっくりとまばたく。 「だから私は理解している。私の辿り着いた結論は、ショウ、君がこれから出す結論と同じはずだということを」 「そんなことは――」 「――ない? 本当か? 深淵を覗いた君が、再び人間を信用することができると思うか」  でも、それは――意味のない言葉をつぶやきながら、翔は胸が急に苦しくなる。追い打ちをかけるように、竜之介が言った。
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