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「ショウったら、情けないわねえ」
腰を抜かしたように動けないでいる翔に、恵美が駆け寄り、手を貸した。
「ほら、ちゃんとしてちょうだい。お母さんが恥ずかしいんだから」
そう囁いて、再び周りの輪に加わる。照明が落とされ、テーブルに飾られた燭台の炎が揺れた。気がつくと、流れ続けていた音楽もいつのまにか止まっており、あとには屋根を叩く雨粒の音と、人々の興奮したような異様な息づかい、それから――
んっ、んっ、とテーブルの上に固定された「それ」はくぐもった声を上げていた。「それ」は何とか自分が置かれている状況を知りたいのだろう。しかしその頭はすっぽりと大きな袋に包まれ、布が巻かれた胴体部分も手も足も、がっちりとバンドで縛り付けられている彼――もしくは彼女に、その望みは叶いそうもない。
唯一剥き出しになっているのはその首元だけで、その脇に置かれた真っ白な皿の上には、よく研ぎ澄まされたナイフ――それからあの紫の花が飾りのように置かれている。そしてたったいま、足元に血を受ける銀のタライが差し出された。
「これ……」
「特別だ、そう言っただろう?」
さきほどまで陽子の死を悲しげに語っていたのと同じ人物とは思えないほど、楽しげな竜之介の声が響いた。
「やり方は知っているかい? 安心したまえ。多少なら、手順を違えても支障はない。とにかく、その手で行われることが重要なのだから」
そんな馬鹿な――痺れたように「それ」から目を離せずに、翔は辛うじて呼吸を続ける。
「これは――誰?」
「誰、ではない。食肉にいちいち名前はいらないだろう」
輪の最前列から、竜之介が言う。
「ほら、早くしてみせてよ。これ、ショウのためにとっておいたのよ」
柔らかな声で亞里沙が囁く。ぼく、お腹空いた――ずっと後ろのほうで子供の声が聞こえる。
「ほら」
やっと「それ」から目を離し、視線を上げると、そこには薄ぼんやりと光る夜鬼の瞳が無数に並んでいた。
これは誰なのか、男なのか女なのか、成人なのかそれとも翔と変わらぬ年齢の少年なのか、どんな人生を歩み、どうやってここに連れてこられたのか、オレはこの人間を殺すことなどできるのか。何より、人間になりたい――その思いの先にあったものがこの光景だというのだろうか。翔は震える手元に視線を落とした。
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