第2章 12月5日(金) 午前6時51分

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「まあ、いまは仕方が無い」  正博が興奮する恵美をたしなめるように言った。 「彼が当選すればそんな風潮もなくなるだろう。この子たちは、八季に関する教育を受けていないんだ」 「……でも、テレビで『八季』だなんて堂々と言っていいんだね」 「それってどういう意味?」  小さな翔のつぶやきに、過剰とも思える反応で恵美が振り向いた。 「八季であることはわたしたちの誇りよ。言って駄目なわけがないでしょう。解放同盟みたいなこと、言わないでくれる?」 「別にそういうんじゃ――」  恵美から目を逸らして、翔は肩をすくめた。  恵美の言った解放同盟とは、「日本解放同盟」という団体の名称である。解放同盟は俗に言う右翼団体のようなもので、暴力団が背後にいるという噂も聞く。  そして、目的のためならば街宣車でのヘイトスピーチ、中傷ビラ、その他暴力事件を起こすなど、警察沙汰になることも辞さないような活動を精力的に行っている。  そんな手段を選ばぬ日本解放同盟の目的が、日本からの八季一族の排除であった。  今回の衆議院選にも立候補した八季竜之介――彼に代表される八季一族は、もとはと言えば東ノ沖島という、太平洋上に浮かぶ小さな島の出身者たちである。八季、という苗字を持つ者は、島の出身者の他には存在せず、翔の生まれたこの家も、その例に漏れなかった。           *  東ノ沖島――その名称は明治時代に島に与えられた名前である。しかし、その東ノ沖島という名称が生まれるまでには紆余曲折があった。  その小さな島の存在が初めて文献に出てくるのは、遙か昔――日本が倭国と呼ばれていた時代である。  東の海の孤島――そこは帰らずの島と呼ばれていた。その理由は明白だ。その島に漂流した者や、辿り着いた者は決して帰らないばかりか、朝廷や歴代の政権が、島を制圧しようと送り込んだ剛の者さえ、再び戻ることがなかったからだ。そして時代を経るうちに、その島には奇妙な噂が囁かれるようになった。  あれは鬼の棲む島だ。人間を取って喰う、鬼の棲む島だ。  人々は恐れをなし、島へ近づくことをやめた。もっとも、周囲の海域は腕の良い船頭でも座礁を免れぬほどに浅く、例え無事に抜けたとしても島は断崖絶壁で、簡単に立ち入ることはできなかった。島は千年以上の長きに亘って沈黙を守り続けた。
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