第5話 12月7日(日) 午前09時34分

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第5話 12月7日(日) 午前09時34分

 恭平がハンドルを握るおんぼろのセダンが、白煙を上げながら高級車の列をすり抜けていく。横幅ギリギリいっぱいの空間を、少しもかすることなくすり抜けるのだから、彼の運転の腕前は相当なものなのだろう。  にもかかわらず、乗り心地がすこぶる悪いのは車の古さのせいだろうか、それとも強すぎる芳香剤のせいなのだろうか。  悠馬が口酸っぱく言ったせいで、あのゴミだらけの後部座席は綺麗に片付いていた。しかし、どうやらそれらのゴミはトランクに詰め込まれただけだったようで、荷物を入れようとそっとトランクを開けた悠馬が、瞬時に鼻をつまみ、それからまた静かに閉じたのを翔は見逃さなかった。  件の悠馬は、しっかり酔い止めを飲んだにも関わらず、昨日にもまして具合が悪そうにひっくり返っている。乗り物酔いしたことのない翔も、何だかめまいがするような気がして、これから行く先に意識を集中させようと努力した。  降枝三津子――翔にとっては懐かしい名前の女性、向かう先は横浜にあるというその人の家である。 『八季竜之介の家の手伝いをしていた女性だ。知ってるだろ?』  恭平に言われるまでもなく、翔は優しげな三津子の顔をすぐに思い出していた。  人間と八季の区別もつかない幼い頃、翔は両親に連れられてヒトツキに参加していた。いまでこそ、八季竜之介は翔の家の近所に住んではいるが、昔はもっと別の場所の、大きな洋館に住んでいたのだ。  その頃のことは、翔も忘れてしまったことのほうが多い。ただ、小さな亞里沙の遊び相手になってやったことと、その洋館がひどく立派だったことは覚えている。  よく手入れされた青い芝に、冬に赤い実のなる低木の茂み。大きな玄関扉を開けるとそこは吹き抜けで、映画でしか見たことのないような長い階段が両側から円を描くように降りていた。  その広い吹き抜けのある玄関ホールで、翔は亞里沙に何度お姫様ごっこをせがまれたかわからない。長い階段の上から、お姫様役の亞里沙の手を取って下の広間まで導き、ダンスの真似事をするのである。亞里沙の両親――竜之介と陽子と、それから家政婦の三津子はそんな二人を見守りながら、幸せそうに微笑んでいた。その豪奢な階段で陽子が足を滑らせ、亡くなってしまうまでは。
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