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その辺にあったしわくちゃのウインドブレーカーを、パジャマ代わりのウエットスーツの上に着る。水道代がもったいないから目の周りを手の甲でごしごしこすり、髪を手ぐしで整える。洗濯済みの靴下をはいて、身支度完了。下着と靴下だけは毎日取り替えるのが、今の僕の生活では唯一の贅沢だ。
外に出ると顔に当たる風の冷たさに思わず身をよじった。今日十月が始まったばかりだというのに、早朝はさすがに寒い。辺りはまだ真っ暗だ。安っぽい金属音を掻き鳴らしながら僕は階段を降りて、ぼろアパートの脇に止めた自転車を手前に出す。みんな無茶苦茶な止め方をしてあるので、いつも朝一番に出すのは一苦労だ。中古で買った自転車にまたがり、ここから五分ほどの新聞配達所に向かう。ペダルを踏むたびにどこかしら軋む感触が伝わってくる。夜明け前の空を見上げると薄く雲が広がっており、星はどこにも見当たらない。このバイトを始めてから明け方の天気がやたら気になるようになった。雨と晴れとでは、新聞を配って回る労力が倍ほど変わってくる。雨風の強い朝なんて最悪だった。あの雲がこれ以上厚ぼったくならないことを祈りながら、車一台通らない闇の道を僕は進んでいく。
配達所に近づくと、ガラス戸から漏れる灯りでそこだけが浮き上がって見えた。前に自転車を止めて中に入っていく。チラシの折り込み作業に来ているかなり年配のおばさんたちが、黙々と手を動かしている。蚊の鳴くような声で挨拶をすると、疲れきった声がぼそりぼそりと返ってくる。未明から働いているおばさんたちの口は皆重く、紙のこすれる音以外は何も聞こえない、いつもの静けさに包まれていた。最低限の会話と淡々と進められる手作業。おばさんたちのどこか仕方がない、というような表情。決して陽の当たることのない、世間から忘れ去られたようなこの場所と空気感を、でも僕は、案外気に入っていた。やっと落ち着くべきところに落ち着いた、とさえ感じていた。前に勤めていた外食チェーン店では、周りのスピーディーな働き方に気後れして叱られてばかりいた。次に始めた家庭教師のバイトでは子どもと上手くコミュニケーションが取れず、一日で相手の親からクビを言い渡された。他人と一緒には働けない。自分のペースでやれる仕事がいい。となると、おのずと出来る仕事は限られてくる。
地域ごとにセットされた新聞を配達専用の自転車に積み込み、
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