134人が本棚に入れています
本棚に追加
/108ページ
今日は彼がご飯を作るって張り切ってたし、早く帰ろう。
いそいそと足を速め駅に向かう。
電車に乗り込むと、車内広告にBloodstonesの新譜のポスターが目に入り、口の端が持ち上がった。
大好きな彼はずっと金髪にしていた髪を茶色に変え、ゴールドに輝くギターを肩に掛けポーズを決めている。
どのメンバーも視線は別へ向け目元が隠れて映るポスターは、宇宙の様な背景で全体的に暗い色合いだ。
しかしそれは、どの派手な広告よりも存在感が強く目に留まる。
向こうに立つ高校生がポスターを見上げて楽しそうにしているのを見ると、椛は誇らしく、誰にも気付かれないように口の端を僅かに持ちあげた。
最寄りの駅から数分。
マンションの入口のセキュリティ番号にも漸く慣れた。
エレベーターのボタンを押し、ゆっくり開くドアに心が逸る。
椛は乗り込むと目的のボタンを押した。
マンションは上階。
規則正しい音が、ただそれはとてもゆっくりと、部屋に響いていた。
秒針が刻むより遅く、刻まれる。
時がたつのも忘れるほど夢中に。
この部屋の主が、ただ黙々と。
ピンポーン、と、チャイムが鳴り、鍵が開く音がする。
間もなくして、
「ただいまー」
その声と一緒に、ぱたぱたとスリッパの音が近づいてきた。
「明広?」
「あぁ、椛、おかえり」
顔を覗かせた愛しい姿に、この部屋の主、明広と呼ばれた男は顔を上げた。
その瞳からぽろぽろと雫が零れ出し、椛は目を見開いたのち、彼の手元に視線を落とすとふわりと微笑んだ。
「私が帰ってきて、泣くほど嬉しかった?」
「嬉しいのは確かだけど、」
明広はグズッと鼻を啜り、涙をぬぐった。
「玉ねぎがっ!!目に……うわっ!手、洗わずに目を触ってしまった!!」
「……ご愁傷様です」
白いフリルエプロン姿は、ついさっき見た、ゴールドのギターを担ぎカッコ良くポーズを決める人と同一人物だとは思えない。
「ふふっ、」
「あー、椛、笑ってるだろ!っていうか、俺、目、開けられねー!椛の笑ってる顔、見たいのに!っだぁー!」
叫んで洗面所へ駆けこんで行く明広の後ろ姿に、椛は今度こそ、思い切り声を上げて笑い転げた。
【続・番外編 ~fin~】
最初のコメントを投稿しよう!