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相手の勢いに圧され、父が恐る恐る聞いてみると、相番の男性は少しは気が晴れたのか深呼吸を繰り返し、視線をそらして答えてくれたそうだ。
曰く「車内に鉄錆のような臭いが充満している」、曰く「座席がジメッと湿っている」、曰く「座っていると、急に首筋に息を吹きかけられた」、曰く「なんとなく気持ち悪いから、降ろして欲しい」などなど。
「俺が乗ってる時は、そんな事なかったけどなぁ」
「何か思い当たる節はないのかよ? 嫌だよ、俺、あの車で仕事するの」
そうは言われても──反論しようとして、父親は思い出した。「例の場所」で客を乗せた事を。だが、それが何だと言うんだ? ちゃんとお客さんとしてタクシーに乗車してもらい、問題なく目的地まで送り届けた。それだけだ。
男性にそれを説明したが、それで納得したかどうかは疑わしかった。だがそれ以上話す時間もなく、父はシフトに入ったと言うのだ。
『車に乗る前にそんな話を聞いちゃったもんだから、まあ気持ち悪かったんだけどな。だけどそんな理由で仕事休むわけにもいかないし。その日のお客さんも何だかソワソワしたり、居心地悪そうにしてたけど、変な臭いがしたりとかはなかったし。アイツが神経質なだけだったのかもしれないけど』
お前、こういう話が聞きたかったんだろ? 父はそう言って受話器の向こうで笑った。
「ところでさ、お父さん。今、お母さんっているの?」
『いや、朝から出掛けてる』
「じゃあ、テレビとか点けてる?」
『あ、うるさかったか? 1人でメシ食うのも侘びしかったんで、ついな』
親父殿……私が気にしているのはテレビの音じゃないと思うよ。
『それじゃ、俺もそろそろ寝るから。また近いうちに、こっちにも顔出せよ』
そう言って父親は電話を切った。
私の耳には、話を聞き始めてからずっと父親の背後で金切り声で喚いている女性の声がこびりついていた。多分、父が言っていた「消える女性」の声だ。場所から離れられないと思われていた女性は、タクシーに乗り込んだ男性客に憑いてきたのだろう。そして……何を気に入ったのか知らないが、父に憑いてきてしまった。
「どうして相番の人じゃなかったんだよ」
不謹慎と言われようが、人としてどうよと言われようが、偽らざる私の本心だ。
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