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「詳しくは言えないんだけど……心の家に一緒に行った人たち二人とも、ものすごく自分の母親のことに囚われ悩み続けてきたみたいだった。母親さえ生きていれば何もかも上手くいっていたのに、とずっと思い込んできた僕の思いは、そこで見事なまでに打ち砕かれたんだ」
「……」
「ああ、本当はもっと詳しく藤村さんに話したいことが沢山あるんだけど、話しちゃあ駄目なんだよね?」
「そうや。依頼者のプライバシーは死んでも守らんとあかん」
「それがこの仕事の一番辛いところだな」
地団太を踏みたくなるくらい僕はもどかしかった。このような特異な経験をし、最もそれを共有できる相手が目の前に居ながら、踏み込んだ話をすることが一切許されないのだから。
炬燵に置かれた時計を見ると二時半を回っている。藤村さんの両目もかなり落ちくぼんで見えた。
「そろそろ寝る?」
「そやな、今晩も泊まっていくか?」
「うん」
ようやく僕たちは重い腰を上げて座卓に並んだ食器などを流しに持っていき、明日洗うから置いとけ、という藤村さんの言葉に従ってそのまま寝ることにした。といっても客用の布団などないので僕はそのまま炬燵にもぐり込み、藤村さんは自分のベッドに入った。
消灯してからも僕は暫く寝つけなかった。ベッドのほうを見やるとやはり藤村さんも同じなのか寝息が聞こえてこない。
「起きてる?」
僕が小さく声を掛けると、ああ、と返事が返ってきた。以前からどうしても藤村さんに尋ねてみたいことがあった。
「一つ訊いてもいい?」
「何や?」
藤村さんが溶接の仕事をしていることや、ずいぶん前に離婚して一人暮らしの長いことは聞いていたけど、それでもこの人について自分は余り知らないという思いはあった。人としての包容力があると思う反面、相変わらず自分について語りたがらない空気を藤村さんは醸し続けている。僕だって何もかもを打ち明けている訳では決してないけど、それなりに親密になると互いについての情報量に差があること自体が、気に掛かるようになっていくものだ。ひょっとすると心の家に案内した渡井さんや竹之内さんも僕に対して同じように感じていたかもしれない。
「どういう経緯で心の家に行って、誰からコーディネーターの仕事を引き継いだの?」
面と向かって明るい場所では訊けないことをようやく僕は口にした。固唾を飲んで答えを待っていたけれど、
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