二、

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二、

 神戸に古くから続く駿河組。村上滝の極道人生はここから始まった。  当時、組に出入りし始めた青年に、なぜか矢島は気付いていた。普通なら、若頭という立場の人間が、自分が拾ってきたわけでもないのに、組の最下層の若者に目を留めることなど有り得ない。それにもかかわらず、真っ直ぐな瞳のその青年が、矢島の心のどこかに引っ掛かっていた。  ある日、矢島はその青年を組の庭先で見かけ、なんとなく声をかけてみた。矢島の抱いていた第一印象を裏切ることなく、滝は素直で真面目な男だった。青年は笑って言った。『村上滝いいます、以後どうぞよろしくお願いします』。その無邪気な笑顔が印象的で、矢島はその後、滝を手元に置くことが何度かあった。  当時の駿河組幹部の一人が村上という姓だったことから、滝は組員に『滝』と呼ばれることになった。滝の後から入ってきた若衆にも、親しみを込めて『滝さん』と呼ばれていた。飾らない滝の性格が、ヤクザらしくないそういう明るさを引き寄せていた。  駿河組は決して大きな組ではなかったが、今ではもう珍しくなった、昔ながらの仁義が残っている歴史ある組だった。そこで滝は、厳しくもおおらかに、極道としての基本を学んだ。当時の組長の駿河幸久が極道にしてはかなりの人格者で、幹部以下の全ての組員が少なからず傾倒していたのだ。だからこそ、下っ端の若い滝にまでそういう教育が行き届く、駿河組は統率の取れた良い組だった。  しかし、時代の波に飲まれるようにして、駿河組は獣王連合との抗争に巻き込まれていった。  獣王連合といえば、日本でも一、二を争う巨大組織である。獣王連と事を構えるということは、服従か破滅かの二者択一しかなく、決して共存は有り得ない。昔ながらの仁義を重んじる駿河一家は、当然のように屈伏をよしとはしなかった。駿河幸久の意向を組の全員が受け入れ、いつしか全面抗争へと突入していった。  そして半年後、駿河組は消滅した。駿河幸久は自ら獣王連へ出向き、そのまま戻って来なかった。どこかで生きているのか、それとも抹殺されてしまったのか、詳しいことはなにも分からなかった。そのうち幹部以下の組員も離散してしまい、駿河の屋敷には戦力外の女と子供だけが残った。  そんな中、滝も身を隠すように上京した。通っていた大学には取り敢えず一年間の休学届けを出し、都会の雑踏の渦に身を任せ、住み込みのアルバイトを転々とした。
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