金魚

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金魚

 子供の頃、祖父母の家に行った時のことだった。  和風の家には縁側があり、家には誰かしら人がいたから、夏場の昼間はいつも、縁側のガラス戸は開けたままになっていた。  そこに吊るされた風鈴の真下に、その日は小さな金魚鉢が置かれていた。  普段はそんな物はなかったから、誰かが持って来た物をたまたま置いていたのだろう。  夏だが曇りがちのの日だったせいか、日差しはほとんどない。だから物陰ではなく、縁側の真ん中に金魚鉢は置かれていたのだろう。  丸いガラスの中に赤い金魚が一匹、ゆらゆらと漂うように泳いでいる。その涼しげな風情が、現れた存在のせいで冷ややかな雰囲気に変わった。  どこから現れたのか、一匹の猫が金魚鉢に近づいたのだ。  首輪をしているから飼い猫なのだろう。だったら餌をもらっている筈だから、腹など減っていない筈だ。でも猫の本能なのか、金魚鉢の傍らに座り、じっと金魚を見つめている。  放っておいたら金魚が猫に攻撃される。そう思った俺は、すかさず金魚鉢の側に駆け寄り、両手で鉢の上部を覆った。  今にして思えば、蜂を移動させるなり猫を追い払うなりという方法があったのだろう。でもその時は夢中で、ともかくそうすれば、猫は金魚鉢に手を伸ばさせないと思ったのだ。  実際その考えは決して的外れではなく、私がいる間、猫は金魚に手出しをすることはできず、そのうち部屋に祖母がやって来て、金魚は鉢ごと無事な場所へと移された。  子供の私にとっては、ささやかながら精一杯の武勇伝。でも今思えば『たかがそれだけのこと』に過ぎず、その記憶は私の深い所に埋もれていった。  そしてあれから何十年。  社会人生活も十年近くなったその日、私はいつものように通勤の電車を待っていた。  ただでさえ暑い時期なのに、地下鉄ホームの狭い空間は、地上から流れてきた人混みが持ち込んだ熱気に包まれていて息苦しい程だ。  早く電車が来ないだろうか。そう思い、ぼーっと白線近くに立っていたら、ふいに背後で悲鳴が上がった。
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