第1章

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『パチン』と、乾いた音が、雰囲気のある静かなBARに響き渡った。 叩いた女は「あんた最低」と、右頬に赤い痕を付けた男に、吐き棄てるように言い残すと、スツールを降りて一度も振り返ることなく出て行った。 「・・・・・・いてぇ」 残された男は気まず気に呟き、赤く腫れた頬を摩りながら、目の前にあるロックグラスに入った茶色い液体を飲み干した。 カランと中に入った氷がグラスに当たり、小気味良い音を奏でる。 カランカランと耳元でグラスを軽く揺さぶり、暫し音に聞き惚れる。熱い頬に冷たいグラスが当たるのも気持ちが良かった。 しんと静まり、伺うように見ていた他の客は何事もなかったかのように、また談笑を始めている。 カウンターの中にいるマスターも、バーテンダーも素知らぬ振りで放っておいてくれた。 初めて入った店だった。酒が美味く、店の雰囲気も良いと聞き、それならデートに打ってつけだろうと、訪れた店だった。出会ってから何回かデートを重ねた。言葉で気持ちを確かめ合った。この後は最後の締め括りとして、体で思いを確かめ合う予定だったのだ。 店も、噂通り最高の店だった。ただ、自分がしくっただけだ。他の女の名前を二、三回間違えて呼んでしまった。それだけだ。 大した事じゃない。その所為で振られただけのことなのだから。 「・・・振られたんだよな?」 ボソリと小さく呟いた言葉が、心へと虚しく響いた。
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